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修める
「修める〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
修めるの前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「少年時代」より 著者:幸田露伴
と思います。 小学校を了えて後は一年ばかり中学校を修めたが、それも廃めて英学を
修める傍、菊地松軒という先生に就て漢学を修めました。併し最うそれからの談は今は御免を蒙りたいです。....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
暗闘反目を続けていたのも薩摩の大久保一蔵だ。慶喜を家康の再来だとして、その武備を
修める形跡のあるのは警戒しなければならないとしたのは長州の木戸準一郎だ。 しか....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
達磨の画像を友として来たような人が松雲だ。毎朝早くの洗面さえもが、この人には道を
修めることで、法鼓、諷経等の朝課の勤めも、払暁に自ら鐘楼に上って大鐘をつき鳴らす....
「家」より 著者:島崎藤村
。豊世がこういう町中を択んだのは、通学の便利の為で、彼女は上京する間もなく簿記を
修めることにしていた。そこへお種が尋ねて行った。 姑と嫁とは窮屈な二階で一緒に....
「灰色の記憶」より 著者:久坂葉子
淡い期待があったわけなのだ。私は始め聴講生という名目ではいった。ピアノと声楽とを
修めるのだった。私は殆ど手がかたくなってしまっていたし、練習曲をしていなかったか....
「呉秀三先生」より 著者:斎藤茂吉
輩にも紹介してもらった。明治四十四年一月から、いよいよ先生の門に入り専門の学問を
修めることとなったのであるが、先生の回診は病室の畳のうえに据わられて、くどくどと....
「科学上における権威の価値と弊害」より 著者:寺田寅彦
恐るべきは権威でなくて無批判な群衆の雷同心理でなければならない。 本当の科学を
修めるのみならずその研究に従事しようというものの忘るべからざる事は、このような雷....
「アインシュタイン」より 著者:寺田寅彦
て漂浪したりした。間もなく彼はチューリヒのポリテキニクムへ入学して数学と物理学を
修める目的でスイスへやって来た。しかし国語や記載科学の素養が足りなかったので、し....
「私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
であって、ひとり苦学生のみを責めるのは少しく酷である。 英国等では高等の学問を
修める人々は、いずれも学資の裕かなる富豪や貴族の子弟であって、学資の乏しい貧家の....
「血曼陀羅紙帳武士」より 著者:国枝史郎
出れば必ず勝つということなのだな) 彼は、本来が学究的の性格だったので、剣道を
修めるにも、道場へ通って、竹刀や木刀で打ち合うことだけでは満足しないで、沢庵禅師....
「秀吉・家康二英雄の対南洋外交」より 著者:国枝史郎
ば遠からず討伐を受けるであろう」 しかしマニラ総督の使者は、 「私どもは国交を
修めるために参りましたものでありますから殿下のご要求にお答えするには改めて総督か....
「三つの痣」より 著者:小酒井不木
格しました。それから高等学校を無事に卒業し、大学へはいるに至って、はじめて医学を
修めることに多大の満足を感じました。即ち、解剖学実習室で、死体を解剖するようにな....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
見れば
御国の旗の光とぞ思ふ
この一年間は実に昼夜チベット語を専門に
修める事ばかりに費やしました。その結果として大抵これならばまあチベットへ行っても....
「悪僧」より 著者:田中貢太郎
子弟は、すぐ山寺へ往って独居生活を始め、科挙に応ずることのできるように学問文章を
修めることになっているので、宣揚もしかたなく夫人を家に残して山寺へ往った。 そ....
「神仙河野久」より 著者:田中貢太郎
宮地翁門下の一人であった。河野の名は久、通称は虎五郎、後に俊八とも云った。道術を
修めるようになってから至道と云う号を用いていた。もと豊後の杵築の藩士で、大阪|中....