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修善寺
「修善寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
修善寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「水の三日」より 著者:芥川竜之介
つてん」というやつがあって、誰も漢字に翻訳することができなかった。それでも結局「
修善寺野田屋支店」だろうということになったが、こんな和文漢訳の問題が出ればどこの....
「温情の裕かな夏目さん」より 著者:内田魯庵
ことは知らない。そのくせ書にかけては恐らく我が文壇の人では第一の達人だったろう。
修善寺時代以後の夏目さんは余り往訪外出はされなかったようである。その当時、私の家....
「綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
就いた。枕もとの時計はもう一時を過ぎていた。(大正2・10「やまと新聞」) 秋の
修善寺 (明治四十一年)九月の末におくればせの暑中休暇を得て、伊豆の
修善寺温泉に....
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
修禅寺の僧 行親の家来など 第一場 伊豆の国|狩野の庄、修禅寺村(今の
修善寺)桂川のほとり、夜叉王の住家。 藁葺きの古びたる二重家体。破れたる壁に舞楽....
「貝の穴に河童の居る事」より 著者:泉鏡花
時々ああいう口を利くんですからね。――吃驚させられる事があるんです。――いつかも
修善寺の温泉宿で、あすこに廊下の橋がかりに川水を引入れた流の瀬があるでしょう。巌....
「若菜のうち」より 著者:泉鏡花
のぶらぶらあるき、彼岸もはやくすぎた、四月上旬の田畝路は、些とのぼせるほど暖い。
修善寺の温泉宿、新井から、――着て出た羽織は脱ぎたいくらい。が脱ぐと、ステッキの....
「半島一奇抄」より 著者:泉鏡花
「やあ、しばらく。」 記者が掛けた声に、思わず力が入って、運転手がはたと自動車を留めた。……実は相乗して席を並べた、
修善寺の旅館の主人の談話を、ふと遮った調子がはずんで高かったためである。 「いや....
「安吾巷談」より 著者:坂口安吾
いたのが運の尽き、指名手配となったのである。 伊東暑の刑事は情報を追うて長岡、
修善寺と飛んだが、逃げるとき連れて行った伊東の芸者のことから、湯河原の天野屋旅館....
「五色蟹」より 著者:岡本綺堂
たことをはじめに断わっておく。場所は単に伊豆地方としておいた。伊豆の国には伊東、
修善寺、熱海、伊豆山をはじめとして、名高い温泉場がたくさんあるから、そのうちの何....
「山吹」より 著者:泉鏡花
山吹の花の、わけて白く咲きたる、小雨の葉の色も、ゆあみしたる美しき女の、眉あおき風情に似ずやとて、―― 時 現代。 所
修善寺温泉の裏路。 同、下田街道へ捷径の山中。 人 島津正(四十五六)洋画家。....
「熱情の人」より 著者:久保栄
満々たる野心をもって旧劇界の局面打開に努力しつつあるのはもちろん、高島屋一門の「
修善寺物語」から「文覚」にいたる松莚戯曲の演技的完成にしても、その功の一半を、自....
「春の修善寺」より 著者:岡本綺堂
車の馬のたてがみの顫えて乱れているのが見えた。わたしは風を恐れて自働車に乗った。
修善寺の宿につくと、あくる日はすぐに指月ヶ岡にのぼって、頼家の墓に参詣した。わた....
「秋の修善寺」より 著者:岡本綺堂
一 九月の末におくれ馳せの暑中休暇を得て、伊豆の
修善寺温泉に浴し、養気館の新井方にとどまる。所作為のないままに、毎日こんなことを....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
が、建仁三年辞し、千幡は十二歳で将軍となり実朝と改めた。 兄頼家が辞めて、翌年
修善寺で殺されるまで、なかなかの悶着があった。元来政子の父時政は平氏であって、頼....
「春泥」より 著者:久保田万太郎
いった?」 「それは聞かなかったが、お嬢さんと一しょというんだから、いつものまた
修善寺へでも行ったんだろう。」 「何日行ったといった?」 「それも聞かなかった。....