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「修法〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

修法の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
妖婆」より 著者:芥川竜之介
仔細《しさい》を申し上げるのには、今の世にあろうとも思われない、あの婆の不思議な修法の次第を御話して置かなければなりますまい。お島婆さんはいざ神を下すとなると、....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
《こん》限り祈りつづけよ。われわれ五人のうち、一人たりとも心のゆるむものあらば、修法《しゅほう》は決して成就せぬものと思え。胸にきざんで忘るるな」 播磨守泰親....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
用でも?」 「ちと承りたいことがござる。当山は悪魔退散邪法|調伏《ちょうぶく》の修法《すほう》をつかさどる大道場のはずゆえ、さだめしご坊たちもその道のこと詳しゅ....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
してそういうようになったというが、なるほど孔雀明王などのような豪気なものを祈って修法成就したら神変奇特も出来る訳か知らぬけれど、小角の時はまだ孔雀明王についての....
旗本退屈男」より 著者:佐々木味津三
りました。当り前です。はしなくも竜造寺長門守が口にしたその護持院隆光とは、怪しき修法を以て当上様綱吉公をたぶらかし奉っている妖僧だったからです。由なき理由を申し....
中国怪奇小説集」より 著者:岡本綺堂
月十三日で、あたかも宋代の時と同日であるので、人びとも不思議に思った。但し道士の修法が成就して、潮はようやく退いた後であるので、攘いの祈祷をおこなった上に、堤を....
連環記」より 著者:幸田露伴
猶幼かったとは云え、それでも相応に手の尽しかたは有った。又十一面の、薬師の、何の修法、彼の修法と、祈祷の術も数々有った。病は苦悩の多く強いものでは無かったが、美....
海神に祈る」より 著者:田中貢太郎
最御崎寺の事で、其処は四国巡礼二十四番の納経所になり、僧|空海が少壮の時、参禅|修法した処であった。 「それでは、私もこれからお御機嫌を伺いにあがります」 「今....
夢殿殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
の奇蹟だからで御座います。 ある金剛菩薩の歴然とした法身の痕跡を残して、高名な修法僧は無残にも裂き殺され、その側に尼僧の一人が、これもまた不思議な方法で絞り殺....
南国太平記」より 著者:直木三十五
て、もし、貴島、斎木らが四人ともおらなかったなら、一刻も猶予ならん。すぐに延命の修法《ずほう》だ」 「はい」 「斉彬公の御所業の善悪はとにかく、臣として君を呪殺....
なよたけ」より 著者:加藤道夫
た右方へ逆戻り。 女1 (右より、憂鬱顔で)ただ、妙に頭が痛むのです。 男3 御修法をやっておもらいなさい。……北山の何とか云うお寺にとてもかしこい行者さんがい....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
、それに観音を礼拝していたのである。孝徳天皇がご病気であったので、宮中に参内して修法をした結果終にご恢復遊ばされた。その時に皇子が五人おいでになったのであります....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
を引き上げて泰衡征伐の祈祷をなし、二十九日には愛染明王の像を武蔵の慈光山に送って修法を行わしめ、七月五日には駿河の富士御領帝釈院に田地を寄附し、十八日には伊豆山....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
いろいろの行事が数えられている。 かくて後に例の護法実を置いて、一種の恐ろしい修法をする行事が今も行われているのである。都名所図会に、「扨又夜に入って、里の俗....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の師である。便宜上『仏教大辞典』引用の文句を拝借すると、『法華経序品』には、「常修法之師也」ともみえている。その言うところ区々ではあるが、要するに仏法に通じた修....