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「修禅寺〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

修禅寺の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
思い出す事など」より 著者:夏目漱石
の痛さを紛《まぎ》らしつつ、のつそつ夜明を待ち佗《わ》びたその当時を回顧すると、修禅寺《しゅぜんじ》の太鼓の音《ね》は、一種云うべからざる連想をもって、いつでも....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
がきこえた。 宿の主人が来て語る。主人は頗る劇通であった。午後三時ふたたび出て修禅寺に参詣した。名刺を通じて古宝物の一覧を請うと、宝物は火災をおそれて倉庫に秘....
修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
(伊豆の修禅寺に頼家の面というあり。作人も知れず。由来もしれず。木彫の仮面にて、年を経た....
生ける人形」より 著者:寺田寅彦
聞く事ができたらさだめておもしろいことであろうと想像される、彼はおそらく左団次の修禅寺物語よりは数層倍多くの暗示と示唆を発見するであろう。かの国の「語りもの」に....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
一応報告する務めがあるとも思ったので、かれは諸国の大小名から進物として贈って来た修禅寺紙、有馬筆、伊勢|荒布の名産を中間に持たせて行った。微行といっても、この間....
山吹」より 著者:泉鏡花
雨にもめげねえ群集だでね。相当の稼ぎはあっただが、もうやがて、大師様が奥の院から修禅寺へお下りだ。――遠くの方で、ドーンドーンと、御輿の太鼓の音が聞えては、誰も....
春の修善寺」より 著者:岡本綺堂
につくと、あくる日はすぐに指月ヶ岡にのぼって、頼家の墓に参詣した。わたしの戯曲『修禅寺物語』は、十年前の秋、この古い墓のまえに額ずいた時に私の頭に湧き出した産物....
修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
この脚本は『文芸倶楽部』の一月号に掲載せられたもので、相変らず甘いお芝居。頼家が伊豆の修禅寺で討れたという事実は、誰も知っていることですが、この脚本に現われたる事実は....
久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
明治座で新作が出ると、いつも舞台装置を米斎君に御願いするようになりました。私の『修禅寺物語』『箕輪心中』なんていうものもこの年の作で、いずれも米斎君に御願いした....
秋の修善寺」より 著者:岡本綺堂
線がきこえた。 宿の主人が来て語る。主人は頗る劇通であった。午後三時、再び出て修禅寺に参詣した。名刺を通じて古宝物の一覧を請うと、宝物は火災をおそれて倉庫に秘....
旅の旅の旅」より 著者:正岡子規
てを急ぎたる我が行脚の掟には外《はず》れたれども「御身はいずくにか行き給う、なに修禅寺とや、湯治ならずばあきないにや出で給える」など膝つき合わす老女にいたわられ....
明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
としたる外国風の興行法が人気を呼びて、連日満員。 ○五月、明治座にて岡本綺堂作「修禅寺物語」を初演、左団次の夜叉王、好評。 ○五月、帝国劇場にて初めて女優劇を興....
頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
家督を相続したが、朋党の軋轢に禍いせられて、僅に五年にして廃せられ、継いで伊豆の修禅寺で刺客の手に斃れた。そして、頼家の跡へは弟の実朝が立って家督を相続した。 ....
随筆銭形平次」より 著者:野村胡堂
うでもいいように思うのが一般人の常識であろう。 岡本綺堂先生は、その傑作戯曲「修禅寺物語」や「新皿屋敷」だけでも、恐らく文人として不滅であるだろう。だが、我々....