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「修験〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

修験の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
人外魔境」より 著者:小栗虫太郎
思うと、ケティはそれなりぐたりと倒れた。 気がつくと、瑜伽《ナル・ヨル》、秘密修験《サン・ナク》の大密画のある、うつくしい部屋に臥《ね》かされていた。黄色い絹....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
中だそうだ」 数人の人影が現われた。 その中には女もいた。 虚無僧、放下、修験者、瞽者、その風俗は色々であった。 つづいて幾人か現われた。人の数が十五六....
魔法修行者」より 著者:幸田露伴
と仏家は互に相奪っているから、支那において既に混淆しており、従って日本においても修験道の所為など道家くさいこともあり、仏家が「九字」をきるなど、道家の咒を用いた....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
ス仕立の羽の帽子を冠ったり、ピッケルを担いだりしたのは少ないが、錫杖を打ち鳴らす修験者、継ぎはぎをした白衣の背におひずるを覆せ、御中道大行大願成就、大先達某勧之....
神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
に見ることは出来なかった。 館の一方は海である。岸へ波が打ち上げている。白衣の修験者でも躍るように、穂頭が白々と光っている。館の三方は曠野である。木立や丘や沼....
霊界通信 小桜姫物語」より 著者:浅野和三郎
道場へ歩み入りました。 と見ると、室内には白衣を着た五十|余歳と思わるる一人の修験者らしい人物が居て、鄭重に腰をかがめて私達を迎えました。 『良うこそ……。か....
十二神貝十郎手柄話」より 著者:国枝史郎
来た。それは立派な部屋であった。 その部屋に三人の男女がいた。一人は白衣を着た修験者であり、一人は島田に髪を結った、美しい若い小間使いであり、一人は四十を過ご....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
吉野|首の祖先だと古事記に書いてある。その井戸が今も残っている。 竹林院という修験道の宿坊が今は旅館になっている。万事アルバイト時代である。そこの名園(?)か....
安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
ある。 それから四代後の多門房行高の時には、 「死に臨んで遺言するが、わが家は修験であるから、何事があっても軍事にたずさわってはならぬ」 という堅い戒めを残....
多神教」より 著者:泉鏡花
場所 美濃、三河の国境。山中の社――奥の院。 名 白寮権現、媛神。(はたち余に見ゆ)神職。(榛貞臣。修験の出)禰宜。(布気田五郎次)老いたる禰宜。雑役の仕丁。(棚村久内)二十五座の....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
まで参りましたら、かねてのわたくしの意見の通りに伯耆の大山へゆき着いて、かしこい修験者の許にしばらくはお忍びなされませ。心の底の得知れぬ異国の奴、われわれをだま....
迷信解」より 著者:井上円了
、人をしてますます不思議に思わしむるものである。従来、民間にてこれを治する法は、修験者のごときものを雇い、祈祷を行い、本人を責めて、「汝、なんのために来たりしや....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
云っているのである。 我が国では、仏教家が地主神を多く護法神として仰いでいる。修験道の元祖たる役行者が、葛城山で鬼神を使役したというのも、やはり一種の地主神を....
チベット旅行記」より 著者:河口慧海
かというて尋ねますとその寺の建って居る下に泉があるそうです。ある神下し(わが国の修験者のごとき者)が此泉は龍の口であるからこの泉が破裂するとチベット国中が海にな....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
を忌んだ(『近江輿地志略』)。 この点に重きを置けば、唱門師はまた下級の神主・修験者・または竈神の札を配って歩き行いた舞太夫などと類を同じくするとも見られる。....