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俳壇
「俳壇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
俳壇の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俳諧の本質的概論」より 著者:寺田寅彦
吟のごときは芭蕉の不易の精神に現代の流行の姿を盛ったものと思われる。 現時の
俳壇については多くを知らないのであるが、ともかくも滔々として天下をおぼらすジャー....
「俳句の精神」より 著者:寺田寅彦
ないと思うものである。 付言 以上は自分の自己流の俳句観である。現代
俳壇の乱闘場裏に馳駆していられるように見える闘士のかたがたが俳句の精神をいかなる....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
つ》路三千) 追逐看山臨水縁(追逐《おひおひ》に山を看《み》、水縁に臨む) 唱出
俳壇新韵鐸(
俳壇に唱へ出す新韵《しんゐん》の鐸《たく》) 声々喚起百年眠(声々に....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
見であった。また椎の友会連中では、伊藤松宇氏と森猿男氏は、地方から帰って来て今も
俳壇で先輩となっている事は誰れも見る通りである。その他片山桃雨氏と、石山桂山氏は....
「「壇」の解体」より 著者:中井正一
文壇、画壇、楽壇、歌壇、
俳壇、乃至学壇、評壇等々、それはそれぞれ犯すべからざる神聖なるにわである。空間的....
「郷愁の詩人 与謝蕪村」より 著者:萩原朔太郎
《ひとつ》もその真の詩的精神――俳句のエスプリする哲学原理――を批判されてない。
俳壇のいわゆる俳人たちは、彼らの宗匠的《そうしょうてき》主観に偏して、常に俳句を....
「子規居士と余」より 著者:高浜虚子
」を連載し募集句を選むこと等を怠らずやっていたが、鳴雪翁も何か家事上の都合で一時
俳壇を退れた事などがあってどうも思う通りに原稿が集らなかったようであった。その上....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
ざりしならん。蕪村の眼高きことかくのごとく、手腕またこれに副《そ》う。而して後に
俳壇の革命は成れり。 ある人|咸陽宮《かんようきゅう》の釘かくしなりとて持てる....
「最近の感想」より 著者:種田山頭火
現時の
俳壇に対して望ましい事は多々あるが、最も望ましい事の一つは理解ある俳論の出現であ....
「夜長ノート」より 著者:種田山頭火
キゾーチシズムという語は色々な、複雑な意味を持っていると思う。 ○
俳壇の現状は薄明りである。それが果して曙光であるか、或は夕暮であるかは未だ判明し....
「俳句の作りよう」より 著者:高浜虚子
面白い句も中にはあるけれども、しかしどことなく軽浮の感をまぬかれない。 近代の
俳壇でも正岡子規という人は決して人間を軽蔑しなかった人である。人間社会をくだらな....