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「俳諧師〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

俳諧師の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
事の好きなものは博奕打になる。おべんちゃらの巧い奴は旅商人になる。碁打ちになる、俳諧師になる。梅川の浄瑠璃じゃあないが、あるいは順礼、古手買、節季候にまで身をや....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一 ある時、半七老人をたずねると、老人は私に訊いた。 「あなたに伺ったら判るだろうと思うのですが、几董という俳諧師はどんな人ですね」 時は日清戦争後で、ホトトギス一派その他の新俳句勃興の....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
立てた。検視の役人は出張した。自分の縄張り内であるから、半七もすぐに駈け付けた。俳諧師の庵というだけに、家の作りはなかなか風雅に出来ていたが、其月の宅は広くなか....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
分は遊びながら世を送っていたらしいのです。そういう訳でしたから、書家とか画家とか俳諧師という人たちが北国の方へ旅まわりして来ると、きっとわたくしの家へ草鞋をぬぐ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
よと言われていた。ひとり旅の者はもちろん、怪しい浪人体のものは休息させまじき事、俳諧師生花師等の無用の遊歴は差し置くまじき事、そればかりでなく、狼藉者があったら....
風流仏」より 著者:幸田露伴
誓を嵯峨の釈迦に立し男、齢は何歳ぞ二十一の春|是より風は嵐山の霞をなぐって腸断つ俳諧師が、蝶になれ/\と祈る落花のおもしろきをも眺むる事なくて、見ぬ天竺の何の花....
霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
し永井の家は誠に手当が宜うございますね」 治「えゝ中々|好い家で、永井一郎という俳諧師で武芸も上手なり、鉄砲も打ったりして有名の人だったが、故人になり、その家内....
明治十年前後」より 著者:淡島寒月
転居し、『都の花』が出ていた頃紅葉君、露伴君に私は西鶴の古本を見せた。 西鶴は俳諧師で、三十八の歳|延宝八年の頃、一日に四千句詠じたことがある。貞享元年に二万....
漱石氏と私」より 著者:高浜虚子
高浜清様 ○ 明治四十一年三月十四日(葉書) 今日の「俳諧師」は頗る上出来に候。敢て一葉を呈して敬意を表す。頓首。 三月十四日夏....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
のだから、仕事をしている、布さらし、塩焼に、一杯無心する便宜はありません。いくら俳諧師だといって、昼顔の露は吸えず、切ない息を吐いて、ぐったりした坊さんが、辛う....
雪柳」より 著者:泉鏡花
怪談録」目録の第一に、一、浅草川船中にて怪霊に逢う事、というのがある。 当時の俳諧師、雪中庵の門人、四五輩。寛延|年不詳、霜月のしかも晦日、枯野見からお定まり....
上野」より 著者:永井荷風
した人であるが、わたくしはまだ此二家の不忍池畔にいた時の年代を調査する遑がない。俳諧師永機の事も亦寡識の及ばざる所である。詩人梁川星巌の不忍池畔に居ったのは天保....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
革新せられたり。芭蕉のいはゆる正風《しょうふう》を称道したるは按《おも》ふに当時俳諧師の品性|甚《はなはだ》堕落しつづいて俳諧本来の面目たりし軽妙滑稽の意義|随....
」より 著者:岡本かの子
とでもいうのだろう。 ――白井権八小紫の比翼塚の碑があった。 ――十年ばかり前に俳諧師が建てたというね。上方の心中礼讃熱が江戸にも浸潤して来た影響かな。心中する....
濫僧考」より 著者:喜田貞吉
た由である。維新前の様子を親しく実見したものの話に、たとい僧侶ならずとも、医師・俳諧師・茶道などの、頭を丸めて十徳を着けた類のものが境内に入らんとするには、前以....