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「倉方〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

倉方の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
姉川合戦」より 著者:菊池寛
の杯を汲み交した。 浅井方の悲壮の決心推して知るべきである。これに比ぶれば、朝倉方は大将自身出馬せず、しかも大将義景の因循姑息の気が、おのずと将士の気持にしみ....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
ずかしくなって来たぞ。 石子刑事は思わずうーむと唸った。 岸本から三年前に支倉方の女中が行方不明になった事を聞いた翌晩、石子刑事は女中の父親である城北中学の....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
。 「なんですか、こんな山の中にいたんじゃ、さっぱり本当のことがわかりません。小倉方面に戦争のあったことまではよくわかってますがね、あれから以後は確かな聞書も手....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
日は、黄昏時になると、ようやく風が強く吹き出し、四人づれが両国橋を渡りきって矢の倉方面に出た時分には、バラバラと砂塵が面に舞いかかるほどの強さとなります。 「強....
雪の宿り」より 著者:神西清
役がかかります。徳政とやら申すいまわしい沙汰も義政公御治世に十三度まで行われて、倉方も地下方も悉く絶え果てるばかりでございます。かてて加えて寛正はじめの年は未聞....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
生法師は宇都宮の一族の上、実朝と歌の上で親しい臣家でもあったからという意味が、鎌倉方の人というほかに加っていたに違いない。とにかく全部で十四人の人数の出ているこ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
て、関東下向の旅についた。 副使は、三条公明。 もちろん、勅使とあっては、鎌倉方でも、粗略にはできない。 幕府は、極楽寺坂まで、大勢の騎馬|徒士を繰り出し....
私本太平記」より 著者:吉川英治
無事に世をすごすことかと思うていたに。……して、元成の養家服部どのは、宮方か、鎌倉方か」 「そこは、何もわかりませぬ」 「わからぬはずよ」 あわれむように言っ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
だが重明は、それにも、うんとは頷かない。 道誉以下、輦輿をまもる一千の兵は、鎌倉方でも精兵中の精兵と聞いている。玉砕も時にこそよれと、あやぶむのだった。 「も....
私本太平記」より 著者:吉川英治
こか警固がゆるやかだし、また何かと待遇などもちがっていた。 この典侍だけは、鎌倉方に気脈をつうじている女性と、さきに甲ノ尾の清高からも、内々の指示があったから....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ったか」 彼は驚かない。ただちに、不破ノ柵を閉じさせて、国境の険をかためた。鎌倉方とすればこれは当然な措置である。執権高時への忠節に見事こたえたものとして、こ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
、そこの佐々木道誉が耳にしてないはずはよもなかろう。そしてもし道誉が、いぜん、鎌倉方に忠誠をもつものならば、援けを求められないでも、われから馬にムチ打って、みか....
私本太平記」より 著者:吉川英治
ノ弾正時治、長崎|高真、佐介貞俊、以下いずれも、去年の千早包囲軍をひきいていた鎌倉方の首将や侍大将たちで、そのご奈良へ逃げ籠り、また奈良で敗れて、ついに宮方へ降....
私本太平記」より 著者:吉川英治
まんたる大河に面を吹かれたとき、人も馬もそそけだッた。みちのくの脅威にたいする鎌倉方の防禦線は、つねにここを「――越えられるものなら越えてみろ!」と、一大自然の....