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倉田百三
「倉田百三〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
倉田百三の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「文放古」より 著者:芥川竜之介
もあたしたちの代弁者《だいべんしゃ》は※《うそ》のように一人もいないじゃないの?
倉田百三《くらたひゃくぞう》、菊池寛《きくちかん》、久米正雄《くめまさお》、武者....
「虚構の春」より 著者:太宰治
っぱり僕の価値を知らない。君は、僕の『つぼ』をうったことは曾《か》つてないのだ。
倉田百三か、山本有三かね。『宗教』といわれて、その程度のことしか思い浮ばんのかね....
「思想と風俗」より 著者:戸坂潤
松円諦などのあり合わせの教養のつぎはぎとは違って、多少宗教的な鋭さを持っており(
倉田百三やある場合の武者小路のタイプに近い)、多少キリスト的でさえあるからだが、....
「読書法」より 著者:戸坂潤
哲学者だという事実は、注目すべき根本公式である。読者はすでに、「精神的な」肉体家
倉田百三氏の場合を知っているだろう。それから又、西田哲学を禅的な・スティグマ的な....
「近頃の話題」より 著者:宮本百合子
あらわれた。会員の顔ぶれとして、林房雄、浅野晃、北原白秋、保田与重郎、中河与一、
倉田百三等、この一、二年来の新日本主義的提唱とともに既に顕著な傾向性を示すと共に....
「認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
ている。認識を単に観念だと思うのは、プラグマティストさえも承知しない処だ。例えば
倉田百三氏(之は肉体の病的省察を通して政治的反動家となった人物であるが)の旧著『....
「思想としての文学」より 著者:戸坂潤
ら、夫は進歩性なるものの意味を全く認識し得ない盲目の眼だ。そういう進歩性ならば、
倉田百三などが最もお得意だろう。通念の自滅の内から新しい社会常識=人間常識への醗....
「文人囲碁会」より 著者:坂口安吾
逆で、何か詩の正統派のような感じであるが、これも碁の性格が正しいのだと私は思う。
倉田百三なる先生がこれ又喧嘩碁で、これは然し、万人が大いに意外とはしないようで、....
「学生と生活」より 著者:倉田百三
有島武郎 宣言 島崎藤村 春、藤村詩集 野上弥生子 真知子 谷崎潤一郎 春琴抄
倉田百三 愛と認識との出発、父の心配....
「学生と先哲」より 著者:倉田百三
室伏高信 立正安国論 高山樗牛 日蓮とはいかなる人ぞ 姉崎正治 法華経の行者日蓮
倉田百三 祖国への愛と認識 ニーチェ ツァラツストラ如是説 旧約聖書中のイザヤ書。妙法蓮華経。マルチン・ルーテル伝。....
「光り合ういのち」より 著者:倉田百三
はよき地にまかれて初めて「或いは百倍或は六十倍、或は三十倍の実を結ぶ」のである。
倉田百三....
「読書遍歴」より 著者:三木清
初めに興味をもって読んだ『冒険世界』というような雑誌がいつしか姿を消して、やがて
倉田百三氏の『出家とその弟子』とか『愛と認識との出発』とかが現われて青年の間に大....
「青春の息の痕」より 著者:倉田百三
いえ。なお手紙の見出しは出版社の促しに由るものである。 一九三八年一一月一七日
倉田百三 大正三年(一九一四) 退学直後 あなたはどんな正月をしました....
「西田先生のことども」より 著者:三木清
ていた。その後先生の名が知れ亙《わた》るようになったのは、当時青年の間に流行した
倉田百三氏の『愛と認識との出発』の中で先生のこの本が紹介されてからのことであった....
「澪標」より 著者:外村繁
ュニツラーの「臨終の仮面」、それに武者小路氏の作品等を朗読したことを覚えている。
倉田百三の「出家とその弟子」を朗読することになる。私は私の書斎で下読みをした。 ....