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「倉町〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

倉町の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
、我が十二歳ぐらいの頃まで居たが、其の者は本所辺に居ると云う事で、慥《たし》か松倉町と聞いたから、兎も角も此の者を尋ねて見ようと思い、吾妻橋《あづまばし》を渡っ....
業平文治漂流奇談」より 著者:三遊亭円朝
て娘は「はい」と羞《はず》かしそうに顔を上げて、 娘「私《わたくし》は本所|松倉町《まつくらちょう》二丁目に居ります者でございます」 文「お前さんは此の雪の....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
門はみな子供に縁のうすい方で、どこにもよそへやるような男の子はない。ただ本所|松倉町に商売をしている三河屋に二人の娘があるので、あるいはその妹娘を尾張屋へくれる....
二重心臓」より 著者:夢野久作
同邸を捜索本部として全力を挙げて調査中である。 因に轟九蔵氏の原籍地は神奈川県鎌倉町|長谷二〇三となっているが、同所附近で氏の前身を知っている者は一人も居ない。....
後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
の通り、 奉「本所業平橋当時浪人浪島文治郎、神田豊島町|惣兵衞店亥太郎、本所松倉町|源六店國藏、浪人浪島方同居森松、並に町役人、組合名主ども」 と、一々呼立....
一商人として 」より 著者:相馬愛蔵
の大日如来と化生し、流し板より光明を発したりと。霊像並びに流し板は今東京市麻布飯倉町赤羽心光院にまつる。 末世まで光る後光のさした下女 (江戸時代川柳) 雀子....
金狼」より 著者:久生十蘭
の足しにもなりやしない。……そこで、その晩のいきさつてえのは、次のあさ九時頃、和倉町二丁目の自分の下宿から、店へ出掛ける途中、一二度〈那覇〉へ顔をみせたことのあ....
読書遍歴」より 著者:三木清
八 大学生活の三年間、私は下鴨の同じ一つの下宿で暮らした。それは蓼倉町で、その頃はまだ附近に余り家が建っていなかったので、室を出るとすぐ前に比叡山....
好色破邪顕正」より 著者:小酒井不木
りますとおり、殺されたのは、メトロ生命保険会社社員大平八蔵氏ですが、その宅は、富倉町三十二番地です」 「それがどうしたというのですか」と、康雄はいらいらしながら....
深川の散歩」より 著者:永井荷風
花さけり」といわれた渡場《わたしば》を思い出す人はない。かつて八幡宮の裏手から和倉町《わくらまち》に臨む油堀のながれには渡場の残っていた事を、わたくしは唯夢のよ....
棚田裁判長の怪死」より 著者:橘外男
も落着して棚田夫人光子、小女、私が逢った下男の老爺夫婦たち一同が、揃って市内|畦倉町の菩提寺、厳浄寺で墓前の祭りを営んでいる最中に、無人の屋敷より原因不明の怪火....