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倪
「倪〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
倪の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「劉海石」より 著者:田中貢太郎
吉というのは、十七歳で邑の名士となり、次男もまた慧であった。滄客はそのとき、邑の
倪という家の女を妾にしてひどく愛していたが、半年ばかりして長男が脳の痛む病気にな....
「水莽草」より 著者:田中貢太郎
三娘の母親は聞いた。 「お前と同時にお茶を飲ましてた媼さんは何人だね」 「あれは
倪という家のお媼さんですよ、自分で心にはじるから、私にやらしたのですわ、今は、も....
「光と風と夢」より 著者:中島敦
あった。絢爛《けんらん》たる才気と洗錬された趣味と該博な知識とを有《も》った・端
倪《たんげい》すべからざる才人だった。しかも彼は何を為したか? 何事をもしなかっ....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
としようが、蘆としようが、それは見る人の勝手だ。」 竹を描く度にこういった元の
倪雲林は、竹が好きだっただけに、竹によく似た魂のすがすがしさと潔癖とを持っている....
「琵琶伝」より 著者:泉鏡花
涙に、口に、はた容儀、心中のその痛苦を語りしこと絶えてあらず。修容正粛ほとんど端
倪すべからざるものありしなり。されど一たび大磐石の根の覆るや、小石の転ぶがごとき....
「踊る地平線」より 著者:谷譲次
ドへ這入る。木の生えた岩石の島がちらばって、ジグ・ザグの小半島が無数に突出し、端
倪すべからざる角度に両側から迫っている。ところどころに石油のタンクが見える。低い....
「丹下左膳」より 著者:林不忘
な》さず去就《きょしゅう》つねならぬ泰軒の乞食ぶりには忠相もあきれて、ただその端
倪《たんげい》すべからざる動静を、よそながら微笑をもって見守るよりほかはなかった....
「日本文化私観」より 著者:坂口安吾
には妙な悲しみがつきまとうものだが、秀吉の足跡にもそのようなものがあり、しかも端
倪すべからざる所がある。三十三間堂の太閤塀というものは、今、極めて小部分しか残存....
「方則について」より 著者:寺田寅彦
あるいは距離の大なるほど大であったと仮定したら、天地万物の運動はすべて人間には端
倪する事の出来ぬ渾沌たるものになるであろう。如何なる強度の望遠鏡でも窺う事の出来....
「レンブラントの国」より 著者:野上豊一郎
りついているに対し、後者は奔放自在に筆を駆使して天に登ったり地にもぐったりして端
倪を知らざるものがある。どちらも抜群の色彩家ではあるが、前者は暗褐色の主調を最後....
「三枚続」より 著者:泉鏡花
するなど、慌てたような、落着いたような、人の悪いような、呑気なような、ほとんど端
倪すべからざる、たとえば竜のごとき否、むしろ大雨に就いて竜を黙想しつつありしがご....
「チェーホフの短篇に就いて」より 著者:神西清
フの雰囲気」を時として押しひらいて、冥々のうちに作家チェーホフを支え導いていた端
倪すべからざる芸術的|叡知の存在を明かすとともに、この叡智の発動形式の一端に私達....
「宝島」より 著者:佐々木直次郎
この快活、饒舌、柔和、慇懃、陰険、横柄、勇敢、残忍、聡慧、雄弁、剛胆、狡猾――端
倪すべからざる人物は、実に溌剌として紙上に躍っているのが見られるであろう。 一九三五年十月佐々木直次郎....
「世界漫遊」より 著者:ダビットヤーコプ・ユリウス
かすると盛んな酒盛になる。ドリスが色々な思附きをして興を添えてくれる。ドリスが端
倪すべからず、涸渇することのない生活の喜びを持っているのが、こんな時にも発揮せら....
「それから」より 著者:夏目漱石
いる。言葉だけは滾々《こんこん》として、勿体《もったい》らしく出るが、要するに端
倪《たんげい》すべからざる空談である。それを基礎から打ち崩して懸かるのは大変な難....