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「倶利〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

倶利の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
義血侠血」より 著者:泉鏡花
一 越中|高岡《たかおか》より倶利伽羅下《くりからじた》の建場《たてば》なる石動《いするぎ》まで、四里八町が間....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ど勇みはだの者が多いといったのは事実であるとみえて、そのうち三人の背から腕には、倶利伽羅紋々《くりからもんもん》の勇ましい彫りものが見えました。 しかし、どれ....
坑夫」より 著者:夏目漱石
たち》の言葉でないから――字で書くと普通のねえのように見えるが、実はなよの命令を倶利加羅流《くりからりゅう》に崩《くず》したんだから、はなはだ下等である。――そ....
二、三羽――十二、三羽」より 著者:泉鏡花
って、 「お宅の雀を狙えば、銃を没収すると言う約条ずみです。」 かつて、北越、倶利伽羅を汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴し....
三浦老人昔話」より 著者:岡本綺堂
要するに少しずつ根気よく彫って行くのが法で、いくら焦っても急いでも、半月や一月で倶利迦羅紋々の立派な阿哥さんが無造作に出来上るというわけにも行かないのです。 ....
名娼満月」より 著者:夢野久作
から右に入って小夜の中山を見ず。真直に一里半ばかり北へ上ると、俗に云う無間山こと倶利ヶ|岳の中腹に、無間山、井遷寺という梵刹がある。この寺は昔、今川義元公が戦死....
近世快人伝」より 著者:夢野久作
弁護士の御蔭で三年の懲役が五年になりました。そのお礼を申上げに来ましたという紋々倶利迦羅なんどが、眼の色を変えて三等急行の改札口みたいに押かけて来る。地獄に俺み....
残されたる江戸」より 著者:柴田流星
れ南枝の梢に短冊の昔を愛する振舞いに至っては、必ずしも歌句の拙きを嗤うを要せぬ、倶利迦羅紋紋の兄哥にもこの風流あるは寧ろ頼もしからずとせんや。 遮莫、這個の風....
薬草取」より 著者:泉鏡花
樹の多いほど、毒虫もむらむらして、どんなに難儀でございましょう。 旧へ帰るか、倶利伽羅峠へ出抜けますれば、無事に何方か国へ帰られます。それでなくって、無理に先....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
》となるのであります。琵琶の滝には天人が常住琵琶を弾じ、蛇瀑《じゃばく》の上には倶利迦羅《くりから》の剣を抱いた青銅の蛇《じゃ》が外道降伏《げどうごうぶく》の相....
黒百合」より 著者:泉鏡花
一群なんだがね、その中でも二三人、体の暗い奴等が紛れ込んで富山から放れる筈だよ。倶利伽羅辺で一所になろう、どれ私もここへ、」 と言懸けて、お兼は、銀煙管を抜く....
星女郎」より 著者:泉鏡花
倶利伽羅峠には、新道と故道とある。いわゆる一騎落から礪波山へ続く古戦場は、その故....
河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
らむず風情。…… むかし義経卿をはじめ、十三人の山伏の、鰐の口の安宅をのがれ、倶利伽羅の竜の背を越えて、四十八瀬に日を数えつつ、直江の津のぬしなき舟、朝の嵐に....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
聞いたが、そこを越えて、金沢へはいった。――金沢へ着く夜の夕方は、おりふし夕月の倶利伽羅谷を過ぎたので、車を下りて、月下に、義仲と京軍の古戦場を一望した。しかし....
醤油仏」より 著者:吉川英治
直して来い」 「こん畜生」 三公は真っ赤になって、両手をふところに押し込んだ。倶利迦羅紋々でも見せるのかと思うと、グッと襟を割って、 「その口を忘れるなよ、梅....