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做
「做〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
做の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「侏儒の言葉」より 著者:芥川竜之介
りも強いかどうか、迂濶《うかつ》に断言は出来ないらしい。一見、死よりも強い恋と見
做《みな》され易い場合さえ、実は我我を支配しているのは仏蘭西人《フランスじん》の....
「赤耀館事件の真相」より 著者:海野十三
翌日から警部は病気と称して引籠ってしまったのです。それで嫂の死は、自殺であると見
做して一先ず事件の幕は閉じられてしまったのです。 百合子は赤耀館にさびしい不安....
「灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
、欧米首都の外は地理的名称さえ猶だ碌々知られていない今日、自然主義を誨淫文学と見
做し社会主義を売国論と敵視する今日、ロイテル電報よりも三面雑報の重大視される今日....
「二十五年間の文人の社会的地位の進歩」より 著者:内田魯庵
にする時は卑俗視せられて、恰も文人に限りては労力の報酬を求むる権利が無いように看
做されてる。文人自身も亦此の当然の権利を主張するを陋なりとする風があって、較やも....
「湯女の魂」より 著者:泉鏡花
終黒髪を取乱しているのでありましょう、夜の具の清らかなるには似ず垢附きまして、思
做しか、涙の跡も見えたのでありまする。 お美津、お喜代は、枕の両傍へちょいと屈....
「霊訓」より 著者:浅野和三郎
に帰せしむべきである。然るに何等玉石を顧みることなく、霊媒の全部を精神異常者と見
做して、懲罰を加えんとするに至りては、愚にあらずんば正に冒涜である。われわれの側....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
人は時を移さず靜修庵に行くと、老いたる尼が邪魔をしたので、彼等は尼を満州政府と見
做し、頭の上に少からざる棍棒と鉄拳を加えた。尼は彼等が帰ったあとで気を静めてよく....
「ファラデーの伝」より 著者:愛知敬一
が流れているのと同じ作用を生ずるだろう」と書いてあるが、これは二十八年後に、と見
做している。 次には、電気力) かように、研究を出してはおったものの、身体が....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
れもまた案外公平な説を立ててるのは、京伝・馬琴が両々相対して下らざる互角の雄と見
做したのが当時の公論であったのだろう。二人は遠く離れて睨み合っていても天下の英雄....
「式部小路」より 著者:泉鏡花
た威張ってぞんざいな口でも利いたんでしょう、それで極まりが悪いんだよ。」 と取
做すようにいいながら、再び愛吉を顧みて、 「馬鹿だわねえ。」 「さあ、お前さん、....
「淡島椿岳」より 著者:内田魯庵
ずに暴露けた処に椿岳の画の尊さがある。 椿岳の画は大抵小品小幀であって大作と見
做すべきものが殆んどない。尤もその頃は今の展覧会向きのような大画幅を滅多に描くも....
「斎藤緑雨」より 著者:内田魯庵
え俥を乗廻していた時代は貧乏咄をしていても気品を重んじていた。下司な所為は決して
做なかった。何処の家の物でなければ喰えないなどと贅をいっていた代りには通人を気取....
「二葉亭四迷の一生」より 著者:内田魯庵
その頃の作家は自分の体験をありのままに書き周囲の人物をモデルとするような事は余り
做なかったから、『浮雲』のモデルや事実は先ずなかったろうと信ずる。 二葉亭から....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
げられる下層階級者に同情していても権力階級の存在は社会組織上止むを得ざるものと見
做し、渠らに味方しないまでも呪咀するほどに憎まなかった。 二葉亭はヘルチェンや....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
が、生残った戯作者の遺物どもは法燈再び赫灼として輝くを見ても古い戯作の頭ではどう
做ようもなく、空しく伝統の圏内に彷徨して指を啣えて眼を白黒する外はなかった。中に....