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傷寒
「傷寒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
傷寒の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「真景累ヶ淵」より 著者:三遊亭円朝
、お園さんは大分|好《よ》い塩梅だが、まだ中々大事にしなければならん、どうも少し
傷寒《しょうかん》の性《たち》だから大事にするようにと仰しゃって、今日はお加減が....
「吾輩は猫である」より 著者:夏目漱石
燵《こたつ》にあたっておられたそうだ。頭寒足熱《ずかんそくねつ》は延命息災の徴と
傷寒論《しょうかんろん》にも出ている通り、濡れ手拭は長寿法において一日も欠くべか....
「護持院原の敵討」より 著者:森鴎外
畳でも、年を取っているので、容体が二人より悪い。人の好い医者を頼んで見て貰うと、
傷寒だと云った。それは熱が高いので、譫語に「こら待て」だの「逃がすものか」だのと....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
うしました」 「あるいは仏罰でもござりましょうか。昨年の二月、延光は流行かぜから
傷寒になりまして、三日ばかりで世を去りました。延光が歿しましたので、唯今の俊乗が....
「怪談牡丹灯籠」より 著者:三遊亭円朝
が、相応に薬礼をよこすから、足を留めていたものゝ実は己ア医者は出来ねえのだ、尤も
傷寒論の一冊位は読んだ事は有るが、一体病人は嫌えだ、あの臭い寝床の側へ寄るのは厭....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
。おびただしい熱が出たのです。 原因はどこにあるかわかりませんが、広い意味で、
傷寒《しょうかん》の一種といっていいでしょう。それにかなりの心労もありますからな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
りませんから、いよいよ図に乗って、 「山東洋、ヨク三承気ヲ運用ス。之《これ》ヲ
傷寒論ニ対検スルニ、馳駆《ちく》範ニ差《たが》ハズ。真ニ二千年来ノ一人――」 ....
「雁」より 著者:森鴎外
を紹介した。岡田は築地にWさんを尋ねて、試験を受けた。素問と難経とを二三行ずつ、
傷寒論と病源候論とを五六行ずつ訳させられたのである。難経は生憎「三焦」の一節が出....
「恨みの蠑螺」より 著者:岡本綺堂
。」と、こちらの男は答えた。「医者さまは風邪を引いたのだというが、熱がひどいので
傷寒にでもならにゃあいいがと心配しているのだ。どこへ行ったのだか知らねえが、きの....
「顎十郎捕物帳」より 著者:久生十蘭
死体をなんと見た」 「大熱が出たということや、手足の節々の腫れかたなどを見るに、
傷寒《しょうかん》か破傷風。……この前の四人を見ていませんからはっきりしたことも....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
かれこれしている中に私は病気になった。 医師に掛かると、
傷寒の軽いのだということだったが、今日でいえば腸チブスであった。お医師は漢法で柳....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
重くなるばかりであります。医師に見せてもなかなか捗々しく参らず、そこで、私は先年
傷寒を病んだ時に掛かった柳橋の古川という医師が、漢法医であるけれども名医であると....
「三国志」より 著者:吉川英治
なろう」 と、曹丕は、むしろ歓んで、彼を斉公に封じた。 その夏五月。 ふと
傷寒を病んで、曹丕は長逝した。まだ年四十という若さであった。 生前の慈しみと、....
「遠野物語」より 著者:柳田国男
ついに火事を免れたる家は一軒もなしといえり。 九七 飯豊の菊池|松之丞という人|
傷寒を病み、たびたび息を引きつめし時、自分は田圃に出でて菩提寺なるキセイ院へ急ぎ....