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僊
「僊〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
僊の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「運命」より 著者:幸田露伴
烏の 早晩に朝する。 建文帝|是の如くにして山青く雲白き処に無事の余生を送り、
僊人隠士の踪跡沓渺として知る可からざるが如くに身を終る可く見えしが、天意不測にし....
「帝展を観ての感想」より 著者:宮本百合子
うものが定り、その相場が上ることで画家としての価値をきめられている清方、栖鳳、麥
僊その他の日本画大家連は、この頃の経済的ゆきづまりで彼等の高価な絵を買う人が減っ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
あります。また、文化のころ世を去った古市|寂照寺《じゃくしょうじ》の住職で乞食月
僊《こじきげっせん》という奇僧があって、金さえもらえば芸妓の腰巻にまで絵を描いた....
「細木香以」より 著者:森鴎外
竜池と署し、俳句を吟じては仙塢と云い、狂歌を詠じては桃江園また鶴の門雛亀、後に源
僊と云った。 竜池は父を伊兵衛と云った。伊兵衛は竜池が祖父の番頭であったのを、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
真宗の親鸞上人《しんらんしょうにん》は九十まで生きたが、これも一日一食。伊勢の月
僊和尚《げっせんおしょう》というのが八十九、鳥羽僧正が八十八、一休和尚が同年とい....
「旧聞日本橋」より 著者:長谷川時雨
物で、大橋流の書も佳《い》いし、絵は木挽《こびき》町の狩野《かのう》の高弟で、一
僊《いっせん》といって、本丸炎上の時は、将軍の居間の画を描いたりしたほど出来たし....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
も在り得るかと思ったところです。
(2)極めてデコラティーヴな画面ですが、昔麦
僊が庭園と舞妓を描いたのとは全く異った感覚があります。娘は自分のデコラティーヴに....
「獄中への手紙」より 著者:宮本百合子
ました。杏村さんがおかみさんにどんな手紙を書いたんでしょう、第一書房のおやじは麦
僊と知り合いで弟の杏村をかついで店を初め、岩波と漱石のような因縁ですね。『ピョー....
「帝展を見ざるの記」より 著者:寺田寅彦
っと思い出しのが龍子の「二荒山の絵巻」、誰かの「竹取物語」、百穂の二、三の作、麦
僊の「湯女」などがある。それから少し方面はちがうがあまり評判のよくなかった芋銭の....
「夢は呼び交す」より 著者:蒲原有明
革であった。 新築祝いがあった。 先ず客を招く準備として、襖絵の揮毫に大場学
僊を煩わした。学
僊は当時の老大家である。毎朝|谷中から老体を運んで来て描いてくれ....
「三人の師」より 著者:上村松園
画壇の大半は栖鳳門下からなりたっていると言っても過言ではない。 橋本関雪 土田麦
僊 西山翠嶂 西村五雲 石崎光瑤 徳岡神泉 小野竹喬 金島桂華 加藤英舟 池田遙....
「絹と紙の話と師弟の間柄の話」より 著者:上村松園
があって葦が生えているような図が描いてあったのです。ところがそれを見られて土田麦
僊さんが不思議そうな顔付きで、この土坡の墨味がこういう風にムクーッと柔かくいって....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
、森鴎外博士の『日蓮上人辻説法』というものを上演しました。その時分に御父さんの米
僊先生がまだ御達者で、衣裳とか、鬘とかいう扮装の考証をなすった。その関係で息子さ....
「随想」より 著者:上村松園
そのころの美術雑誌で『煥美』というのがあって、いつかその雑誌で松年先生と久保田米
僊さんとが、画論に争論の花を咲かせたことも覚えているが、世の中の向上とか進展など....
「想い出」より 著者:上村松園
土田麦
僊さんが御在世の折、よく私の筆|胼胝が笑い話になりましたものです。 無理もない....