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「僻陬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

僻陬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ことは、そんなところにあるのではない、天竜峡の絶勝と並んで、わが伊那の地が山間の僻陬《へきすう》にありながら、尊王の歴史に古い光を持っていることです」 北原は....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
れることを憚《はばか》るための頭巾かとも見られてなりません。 とにかく――この僻陬《へきすう》、荒原の間に、こんな貴婦人が住んでいるはずはないのに、どういう種....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
るような家並と、それからクロンボルグの古城とを有つ、伝説そのもののように絵画的な僻陬の小市だ。 が、このエルシノアの町へ時代を逆に杖をひく旅人の絶えないのは、....
私の小売商道」より 著者:相馬愛蔵
他に比較を見ないところであって、彼らは一度得た得意を逃さないためには、巣鴨の如き僻陬の地から、浅草深川の如きとび離れた場所へも喜んで配達するのである。そのくらい....
明治の戦争文学」より 著者:黒島伝治
の文学にたび/\出てくるが、独歩は既に、そのことをこゝに書いている。また、支那の僻陬の地の農民たちは、日清戦争があったことも、清が明に取ってかわったことも知らず....
猿ヶ京」より 著者:佐藤垢石
から八、九十年昔は、大分賑やかな街道筋であったらしいのである。 しかし、今では僻陬の寒村になってしまった。維新後、上野から碓氷峠を越え、長野、直江津と鉄道が敷....
上野」より 著者:永井荷風
ハ渾《スベ》テ本郷駒籠谷中ノ阻台ヲ負ヒ、南ノ一方|劣《ワヅカ》ニ蓮池ヲ抱ク。尤モ僻陬ノ一小廓ナリ。莫約《オホヨソ》根津ト称スル地藩ハ東西二丁ニ充タズ、南北|険《....
「ケット」と「マット」」より 著者:喜田貞吉
僻陬の地に先住民族がながく取り遺されるという事は、今さら事新しく言うまでもないと....
憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
を忌まれる前にまず自ら他と婚するを拒む様なものも少くない。ことにそれは山間海岸の僻陬村落に往々見受けられるのである。或いは自らこれを拒む意志はなくとも、他からあ....
道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
にこの問題に関する事実の真相を明らかにすべき秘鍵が存するのである。 思うに彼が僻陬の任に当てられたのは、当時道鏡の党与なお存するを慮って、これを安全の地に置い....
南半球五万哩」より 著者:井上円了
ず。また、チリ人は自尊排他の風ありという。これけだし、従来その位置アンデス山陰の僻陬にありて、ほかと交通を欠けるによるならん。バルパライソを去るに際し一詩を浮か....
原子爆弾雑話」より 著者:中谷宇吉郎
る。そして今年の七月十四日に「全計画の成否を決定すべき一弾」がニューメキシコ州|僻陬《へきすう》の荒蕪地《こうぶち》に建てられた鉄塔の上に吊《つる》されるまでは....
特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
農業に従事したものは、疾うの昔に公民になっているのであります。ただその中に山間|僻陬の地に居ったり、その他の事情によって、早く皇化に染むの機会を有しなかったもの....
特殊部落の人口増殖」より 著者:喜田貞吉
から来る人口増加の制限とに起因した、堕胎とまびきなものであった。したがって今でも僻陬の地には、生児制限の弊風が往々にして認められる。或る地方では明治三十九年の丙....
賤民概説」より 著者:喜田貞吉
、優待条件を以て彼らを招聘し、警固の任に当らせたものであった。奥羽の如くその地が僻陬であり、住民素樸にして、村方警固の必要も少く、各自相|扶けて葬儀その他の業を....