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允恭天皇
「允恭天皇〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
允恭天皇の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
れになりました。 四 反正天皇のおあとには、弟さまの若子宿禰王が
允恭天皇としてお位におつきになり、大和の遠飛鳥宮へお移りになりました。 天皇は....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
の地震、安元の火事 日本の地震で最初に文献にあらわれているのは、「日本書紀」の
允恭天皇の五年七月、河内国の地震で、次が推古天皇の七年四月の大和国の地震である。....
「嫉みの話」より 著者:折口信夫
ら宮廷でも他の家でも、一族の間では、まず嫉妬とみられるものはなかった。ただ一人、
允恭天皇の皇后で、天皇と衣通姫とのことを聞いて、おおいに恨まれたということがある....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
、日本武尊の焼津の野火の難における、市辺押磐皇子の来田綿の蚊屋野における、或いは
允恭天皇の淡路の御狩における、いずれも鹿のことに多かった事を誇大に述べているので....
「炭焼長者譚」より 著者:喜田貞吉
のたることを知るに足ろう。しかもこの仮冒は後世になって始まったものではない。既に
允恭天皇の御代において、甘檮の岡に盟神探湯して氏姓の詐偽を正す必要があったのであ....
「古事記」より 著者:太安万侶
と申しあげます。成務天皇は近江の高穴穗の宮で、國や郡の境を定め、地方を開發され、
允恭天皇は、大和の飛鳥の宮で、氏々の系統をお正しになりました。それぞれ保守的であ....
「山の人生」より 著者:柳田国男
あるのであります。 国郡の境を定めたもうということは、古くは成務天皇の条、また
允恭天皇の御時にもありました。これもまた『姓氏録』に阪合部朝臣、仰せを受けて境を....