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元三
「元三〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元三の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
会にて我家に集合。倉光(俊夫)、間宮(茂輔)、角田(喜久雄)、湊(邦三)、村上(
元三)、鹿島(孝二)、摂津(茂和)、小生の八名集まる。 今日は宿題を検討する予....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
は家康よりはずっと辛辣である。厳島合戦の時、恰度五十二歳の分別盛りである。長子隆
元三十二歳、次子|吉川元春二十三歳、三子隆景二十二歳。吉川元春は、時人梅雪と称し....
「新釈諸国噺」より 著者:太宰治
人だけで淋しいならば、お妾を京からもう二、三人呼び奇せて、その他、振袖のわかい腰
元三人、それから中居、茶の間、御物縫いの女、それから下働きのおさんどん二人、お小....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
。エルウォーシーの『邪視編』に諸国で手の形を画いて邪視を防ぐ論あり。今もこの辺で
元三大師の手印などを門上に懸くる。されば猴を嘉儀の物とするに雑多の理由あるべきも....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
した地震に脅かされる傍、火に脅かされ、風に脅かされた。「方丈記」にも、「去にし安
元三年四月二十八日かとよ、風烈しく吹きて静かならざりし夜、亥の時ばかり、都の巽よ....
「霧陰伊香保湯煙」より 著者:三遊亭円朝
み附いて、吊下って居た危え処を助けて、身内に怪我はねえかと漸々様子を聞くと、私が
元三の倉に居た時分、御領主小栗上野さまのお妾腹のお嬢さまと分ったので、私も旧弊な....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
浦愛蔵、保科《ほしな》俊太郎、渋沢篤太夫、高松凌雲、箕作《みづくり》貞一郎、山内
元三郎らをはじめ、水戸、会津、唐津等から、それぞれの人材が出かけることになりまし....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
もちろんである。奈良・高野の外に実隆の旅行区域といえば江州くらいのものであった。
元三大師に参詣の序に石山寺まで趣いたこともある。鉤りの里に将軍義尚の御機嫌伺いに....
「パルテノン」より 著者:野上豊一郎
も劣らずよく保たれたといわれている。それは紀元二世紀の前半のことであった。 紀
元三世紀に入ると、北方の蛮族が南の方へ目を向けてギリシアは不安の状態になって来た....
「秋の筑波山」より 著者:大町桂月
に伸びず。名文空しく万古に存す。 当年の関城主は誰ぞや。関宗祐、宗政父子也。延
元三年、親房は宗良親王を奉じて東下せしに、颶風に遭ひて、一行の船四散し、親房は常....
「九段」より 著者:坂口安吾
、つまりこの旅館で最も敏腕を揮う中心人物を「オカミサン」というのである。二番目の
元三田の小町娘は姉さんよりも身長が高く、テニスがうまい。そのほかはゴルフをやって....
「迷信解」より 著者:井上円了
するところは易筮のごとく人の決心を定むるに過ぎぬ。その中にて最も多く行わるるは、
元三大師の百籤である。余がかつてその鬮を入れたる箱を見しに、寸法に一定のきまりが....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
州のもある。満州の一切経はシナにもう一部あるかないかというくらいかと思いますが、
元三部あって一部はロシアとフランスに分けられております。一部は奉天の黄寺にあると....
「法然行伝」より 著者:中里介山
の義をしめす」と憤り、或は「いずれの法か、行なくして証をうるや」と歎き、最後に承
元三年六月十九日沙門源空と署名している。 三十 法然の師範であった功徳院の肥後....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
胸の中にあった風雅心である。十四の年から和歌を作りはじめる。そして、十八の年、承
元三年、三十首の歌を京へ送って添削を求めた。これが定家と実朝との関係のはじめであ....