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元久
「元久〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元久の前後の文節・文章を表示しています。該当する6件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「修禅寺物語」より 著者:岡本綺堂
る門、外には柳の大樹。そのうしろは畑を隔てて、塔の峰つづきの山または丘などみゆ。
元久元年七月十八日。 (二重の上手につづける一間の家体は細工場にて、三方に古りた....
「若き日の成吉思汗」より 著者:林不忘
時代 蒙古のいわゆる鼠《ね》の年。わが土御門天皇《つちみかどてんのう》の
元久元年。 第一幕 第一場 斡児桓《オルコン》河に沿い、抗愛山脈《こう....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
五両凡中男一人輸作物海松五斤志摩国調海松安房国庸海松四百斤云々とあり、又明月記に
元久二年二月二十三日御七条院此間予可儲肴等持参令取居之長櫃一土器居小折敷敷柏盛海....
「法然行伝」より 著者:中里介山
井にもつかずして居られたが、その後はこう云う姿を拝むのが常のことであったという。
元久二年正月一日から霊山寺《りょうぜんじ》で三七日《みなぬか》の別時念仏を始めた....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
鳩杖を賜わるの光栄に浴した。普賢寺関白近衛|基通が『俊成卿九十賀記』を書いた。翌
元久元年十一月三十日に九十一歳で薨じた。ちょうど『新古今集』の竟宴が行われる前の....
「頼朝の最後」より 著者:田中貢太郎
美三郎、佐佐木小三郎、南条平次、安西四郎など云う美男優長の輩であった。 それは
元久元年のことであったが、その十二月になって御台は鎌倉に下着した。御台御迎えの一....