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「元亀〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

元亀の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
、その秘術こそは、紀州|熊野《くまの》の住人|日下《くさか》六郎次郎が、いにしえ元亀《げんき》天正のみぎり、唐に流れついて学び帰った拳法《けんぽう》に、大和《や....
姉川合戦」より 著者:菊池寛
原因元亀元年六月二十八日、織田信長が徳川家康の助力を得て、江北姉川に於て越前の朝倉義....
長篠合戦」より 著者:菊池寛
元亀三年十二月二十二日、三方ヶ原の戦に於て、信玄は浜松の徳川家康を大敗させ、殆ど....
近時政論考」より 著者:陸羯南
きは、甲種の論派に入るもの豈に必ずしも勤王愛国の士のみならんや、あるいはふたたび元亀天正の機会を造り、大は覇業を企て小は封侯を思うものなきにあらず。乙論派を代表....
神州纐纈城」より 著者:国枝史郎
るが、尚西教史による時は、慶長十二年富士焚とあり、また甲信譜による時は、享禄以降元亀天正まで富士不断に煙りを揚ぐと、こうはっきり記されてある。享禄以降天正までと....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
本の士を改造する方針が立てられた。もはや旗本の士は殿様の威儀を捨てて単騎独歩する元亀天正の昔に帰った。とにもかくにもいわゆる旗下八万騎を挙げて洋式の陸軍隊を編成....
灰燼十万巻」より 著者:内田魯庵
エズイット派の僧侶が本国に寄せた天文十八年(エズイット派が初めて渡来した年)から元亀二年(南蛮寺創設後三年)までの通信八十八通を集めたもので、一五七五年即ち天正....
不尽の高根」より 著者:小島烏水
家を、同家の先祖、大外河美濃守がもらい受けて住家として、旧吉田の郷に置いたのを、元亀三年、上吉田の本町に移し、慶長十五年、更に現在のところに転じたのだそうで、吉....
蒲生氏郷」より 著者:幸田露伴
せて来たぞ、酷《ひど》い目にあわぬ中に早く逃げろ、なぞということは無いが、永禄、元亀、天正の頃は、とても今の者が想像出来るような生優しい世では無かった。資本主義....
神秘昆虫館」より 著者:国枝史郎
にしても武士道は廃《すた》れましたな」 「何故な?」と集五郎はトホンとした。 「元亀天正の昔なら、女を賭けては切り合いませんよ」 「これはいかにも」と南部集五郎....
こま犬」より 著者:岡本綺堂
。 この村はずれに小袋ヶ岡というのがある。僕は故郷の歴史をよく知らないが、かの元亀天正の時代には長曽我部氏がほとんど四国の大部分を占領していて、天正十三年、羽....
落語・教祖列伝」より 著者:坂口安吾
どが大切だとは思わないし、手長神社は久しく誰も顧る者がない廃社になっていたのを、元亀天正のころ一人の風来坊が住みついて、全然自分勝手に再興したからであった。 ....
名古屋スケッチ」より 著者:小酒井不木
やはり遊郭は旧時代の遺物である。いつそ古ければまだ古いだけに思ひ出も深いのだが、元亀天正の昔をしのぶ外、(といふのは、中村はいふ迄もなく、太閤様の出生地なので)....
小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
りも禍いが大きくなって来たように見えた。 かの応仁の戦乱を始めとして、それから元亀天正に至る百余年の間、日本国じゅうに起こった大小の戦乱を一々かぞえ立てること....
かたき討雑感」より 著者:岡本綺堂
戦といったようなもので、それがいわゆる「かたき討」の形式となって現れて来たのは、元亀天正以後のことであるらしい。殊に徳川時代に入っていよいよ盛になったのは誰も知....