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元亨
「元亨〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元亨の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
一八九〇年版、キングスコウトおよびナテーサ、サストリの『太陽譚』一一九頁以下。『
元亨釈書《げんこうしゃくしょ》』一五。一九〇七年版、ディムスの『バロチェ人俗詩篇....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
とさせて月卿雲客を驚かしたりなんどしたというのは活動写真映画として実に面白いが、
元亨釈書などに出て来る景気の好い訳は、大衆文芸ではない大衆宗教で、ハハア、面白い....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
蹟《あと》を追うてたちまち※州《むしゅう》に達してより道が開けたと出《い》づ。『
元亨釈書《げんこうしゃくしょ》』に藤原|伊勢人《いせひと》勝地を得て観音を安置せ....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
依《きえ》したと記す。芳賀博士の『攷証今昔物語』に、この譚を『日本法華験記』と『
元亨釈書《げんこうしゃくしょ》』に漢文で載ったのを本語の後に付けあるが、出処も類....
「連環記」より 著者:幸田露伴
で、俗気が微塵ほども無く、深く名利を悪んで、断岸絶壁の如くに身の取り置きをした。
元亨釈書に、安和の上皇、勅して供奉と為す、佯狂垢汗して逃れ去る、と記しているが、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
とのできた飛行機時代に至って、初めて現われたところの現象、でなければ日本に於ては
元亨釈書《げんこうしゃくしょ》の記す時代に遡《さかのぼ》って、大和の国|久米《く....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
なことをせずして、不承不承に丁《ちょう》を繰りながら読み下してみました。 「乾
元亨利貞 初九潜竜勿用 九二見竜在田 利見大人」 何のことかさっぱりわからな....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
て、乾坤山《けんこんざん》日本寺の山に分け入りました。 切石道を登って、楼門、
元亨《げんこう》の銘《めい》ある海中出現の鐘、頼朝寄進の薬師堂塔、庵房のあとをめ....
「植物一日一題」より 著者:牧野富太郎
けん》の『大和本草《やまとほんぞう》』に「京都泉涌寺六角堂同寺町又叡山西塔ニアリ
元亨釈書《げんこうしゃくしょ》ニ千光国師栄西入宋ノ時宋ヨリ菩提樹ノタネヲワタシテ....
「武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
言うまでもなく当時なお奥羽の北部に蟠居せし蝦夷を指せるなり。また『保暦間記』に、
元亨二年の春、奥州に安藤五郎三郎、同又太郎と云ふ者あり。彼等が先祖安藤五郎と云ふ....
「奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
祈祷して文保二年のころいったん法験を見た(『称名寺文書』)と思ったのも束の間で、
元亨・正中より嘉暦に渉ってさらにその乱相つぎ、幕府は嘉暦元年工藤右衛門尉祐貞を蝦....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
る。二代の撰者たり得た得意は思うべきである。 この御代はなかなか文事は盛大で、
元亨二年に『亀山殿千首』、三年に『亀山殿七百首』が行われたが、その年後醍醐天皇か....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
ノ神の庭燎、祇園の神鈴など、やはり元朝は何やら森厳に明ける。 明けて、ことしは
元亨二年だった。 ただしく過去をかぞえれば、武家幕府の創始者、頼朝の没後から百....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
の中である。ここに一種の賤者の居たのは由来すこぶる久しいもので、すでに鎌倉時代末
元亨四年の『東大寺文書』年預所下文に(この文書は文学士中村直勝君より示されたる写....
「濫僧考補遺」より 著者:喜田貞吉
奈良の北山非人の事は、「民族と歴史」四巻一号(大正九年七月発行)に、寛元二年及び
元亨四年の文書を引いて、いささか説明しておいたところであったが、その寛元二年を距....