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「元元〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

元元の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
十二支考」より 著者:南方熊楠
げ信濃国善光寺へ赴く時に年十九とある。建久四|癸丑《みずのとうし》年に十九なら安元元|乙未《きのとひつじ》年すなわち未歳生まれで寅歳でない、『東鑑』は偽りなしだ....
出家とその弟子」より 著者:倉田百三
ゃいました。 良寛 それきりお別れなされたのでございますか。 慈円 忘れもせぬ承元元年三月十六日、京はちょうど花盛りでしたがね。同じ日に法然様は土佐へ向け、お師....
十二支考」より 著者:南方熊楠
文も多分それから抄出したと見える。その『太平記』の文は次のごとし。いわく、 (延元元年正月、官軍|三井寺《みいでら》攻めに) 前々《せんぜん》炎上の時は、寺門....
今日の日本の文化問題」より 著者:宮本百合子
弁護士が日本側弁護人首席として登場したことに日本の民主的市民は驚いたのであった。元元老たち、その中には米内元海軍大将を含む四人が、シャンパンの盃をあげている写真....
日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
占わすと東西に兵乱の兆があると奏した。天慶は将門純友の東西に蜂起した年である。貞元元年六月の地震は、山城と近江がひどく、余震が九月まで続いた。延久二年十月の地震....
処女の木とアブ・サルガ」より 著者:野上豊一郎
っている。 二 千九百四十一年前と限定したのは、キリストの生れたのは紀元元年ではなく紀元前四年が正しいと今日では年代史的に訂正されて居り、生れると間も....
学生と先哲」より 著者:倉田百三
帯には天変地妖しきりに起こり出した。正嘉元年大地震。同二年大風。同三年大飢饉。正元元年より二年にかけては大疫病流行し、「四季に亙つて已まず、万民既に大半に超えて....
魔都」より 著者:久生十蘭
千秋楽になったんだから、鶴のことなぞもうどうだっていいじゃないか。唄わなくたって元元だが、うまく唄ってくれたばかりに大分こっちの歩がよくなった。どうしたってこれ....
親鸞」より 著者:三木清
た。「すでに僧にあらず俗にあらず、このゆへに禿の字をもて姓とす」といっている。承元元年、彼の三十五歳のとき、法然ならびにその門下は流罪の難にあった。親鸞もその一....
法然行伝」より 著者:中里介山
わい。一実円戒《いちじつえんかい》の至極であるわい」といわれたことがある。 保元元年、法然二十四の年、叡空上人に暇を乞うて嵯峨《さが》の清涼寺《せいりょうじ》....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
七人が百首を詠んだので『七玉集』といわれている。ところでこれより足かけ三年前、正元元年に、為家は二度後嵯峨院の院宣によって撰集すべき旨を承っていたが、弘長二年に....
私本太平記」より 著者:吉川英治
た年は、建武三年。――だがそれは後世には、北朝側の年号とされ、後には同じ年を、延元元年とも併称された。 だからその意味で、南北二朝に別れた最初の年だ。 その....
私本太平記」より 著者:吉川英治
を廃して、 延元 とするとなったのである。 ところが、奇しくも。 この延元元年の二月二十九日は、さきに西国へ遁竄していた尊氏が、敗残の兵をのせて、長門の....
随筆 新平家」より 著者:吉川英治
ここの地形も無名のままつい見落されて来たわけだろうが、その重要さは、ずっと後の延元元年、足利尊氏が九州に再起して東上のさい、楠正成が湊川を後ろに、この会下山から....