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「元勲〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

元勲の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
運命」より 著者:幸田露伴
らげ、或は陝西に、或は蜀に、旗幟の向う所、毎に功を成す。特に洪武の末に至っては、元勲宿将多く凋落せるを以て、炳文は朝廷の重んずるところたり。今大兵を率いて北伐す....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
なく将軍職を辞し江戸城を投げ出した慶喜に対しても恥ずかしいと言って、昨日の国家の元勲が今日の賊臣とは何の事かと嘆息しながら死んで行った人もある。多くの薩摩|隼人....
鏡心灯語 抄」より 著者:与謝野晶子
を選ぶ一カ条に是非とも婦人に対する素行の端正であることを加えて欲しい。明治維新の元勲と称せられる政治家が悉くこの点に欠けていた。そして次に来った代議士という政治....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
い女である。妹の貞子は色白な謹《つつ》ましやかな人柄である。今日の時世に、維新の元勲元帥の輝きを額にかざし、官僚式に風靡し、大御所《おおごしょ》公の尊号さえ附け....
踊る地平線」より 著者:谷譲次
中の汽車の車輪を大きく見せて、つぎに字幕。 「明治四十二年十月二十六日午前八時、元勲伊藤公の坐乗せる特別列車は、長春より一路|哈爾賓をさして急ぎつつあった。」 ....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
間象山であった。象山の弟子に吉田松陰があり、松陰の弟子には伊藤、井上、所謂維新の元勲がある。 所で江川太郎左衛門には一人の異色ある弟子があった。それは金限の御....
一世お鯉」より 著者:長谷川時雨
らでしょう。あたしはちっとも恐かないから嫌だ」 ここにおいてお鯉の目には明治の元勲井上老侯もなければ、財界の巨頭たちもないのであった。たかが女一人を――その財....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
幾多の功労者のあることは争われない事実であるが、なんといっても川上音二郎を第一の元勲に推さなければならない。かれは一面に山師であると呼ばれながらも、自分の事業を....
衰えてきた日本料理は救わねばならぬ」より 著者:北大路魯山人
はおられないという非常な楽しみごととしてやっております。 皆様もご承知の明治の元勲井上侯爵は、晩年まで自分で台所に出られ、七輪をあおいで料理をやられました。鈴....
味覚馬鹿」より 著者:北大路魯山人
料理を口にする以外に道はない。貴婦人は台所で立ち働く習慣がないからだ。 明治の元勲井上侯のように、あるいはアイゼンハウワーのように、来賓に供する料理は必ず自分....
ファウスト」より 著者:ゲーテヨハン・ヴォルフガング・フォン
年を取っては重大な、刹那々々の意義を考える。 だから己は今すぐに、お前達四人の元勲と、 ※外一切の事を掟てようと思う。 (第一の臣に。) 侯爵。軍隊の巧妙....
三国志」より 著者:吉川英治
れた。国中、喪に服して、哀号の色もまだ拭われないうちに一船、江を下ってきて、 「元勲、瑜公の死を聞き、謹んで遠くよりおくやみに来ました」と告げた者がある。 そ....
三国志」より 著者:吉川英治
精鋭であり、富強であった。 中でも、司馬懿仲達は、魏にとっては、まず当代随一の元勲だった。自然、彼の一門は、隆々、勢威を張るにいたった。 延※十四年、魏の嘉....
私本太平記」より 著者:吉川英治
きと画策をささげてきたのであった。 で、新政府の樹立後は、准大臣として、隠然、元勲の重きをなしていたのである。――それと、親房のむすめは、大塔ノ宮の正妃でもあ....
河豚」より 著者:吉川英治
、河豚の本場のようにいわれだしたのは、河豚癖のある伊藤、山県、井上、などの維新の元勲たちが、お国物を阿弥陀寺町で鼓吹したためで、明治以後の地理的発達によるのだと....