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「元弘の〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

元弘のの前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
四条畷の戦」より 著者:菊池寛
、房星の精、化して竜馬となり人心を動揺せしめるのだと云って、時弊を痛論した。即ち元弘の乱に官軍に加った武士は、元来勲功の賞に与らん為のみであるから、乱後には忽ち....
武蔵野」より 著者:山田美妙
方が世に秀れておじゃるから……」 「嬉しいぞや。早う高氏づらの首を斬りかけて世を元弘の昔に復したや」 「それは言わんでものこと。いかばかりぞその時の嬉しさは」 ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
っとしたのが九月末。 途々聞けば。 この秋、改元ノ令が発せられ、元徳三年は、元弘の元年に変ったという。 なお、湖畔に沿って街道を南へ行くにしたがい、ただな....
私本太平記」より 著者:吉川英治
たというのである。 「新葉和歌集」には、このお妹へ、兄なる尊良の皇子から、 ――元弘の初め、世の乱れ侍りしに思ひわび、様など変へけるよし聞いて、瓊子内親王へ申し....
私本太平記」より 著者:吉川英治
人だといわれている。いぜんから高徳の聞えはあって、後醍醐に瑜伽灌頂の法をさずけ、元弘の元年には、例の“中宮|御産の祈祷”と称し、北条調伏の呪いを行ったかどで、硫....
私本太平記」より 著者:吉川英治
「その功もたちまち措いて、ただ罪のみをあらだてるのは如何かとおもう。――たとえば元弘の六波羅探題攻めのさい、彼の反り忠がなかったら、あのせつ天皇御帰還は仰げぬこ....
私本太平記」より 著者:吉川英治
にそんな時であったのである。 亡き菊池|寂阿(武時)には、たくさんな子があり、元弘の博多合戦で、父|寂阿と共に討死したのもあるが、みな父の遺志をついで、後醍醐....
私本太平記」より 著者:吉川英治
利害などは、かえりみてもいられぬはず……」 正季の意気はちっとも変っていない。元弘の若公卿が説いていたような高い理念を、いよいよ胸に磨いでいた。だから腹が立つ....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
きたいも、うたにうたっているだけで、「院ノ庄」の一章も、つい回を追ってしまった。元弘の年、後醍醐の輦輿が通った姫路、杉坂、津山などの中国地方は、以前、宮本武蔵を....