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元徳
「元徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
色と称《い》うのみ、あるいは曰く騾《ら》の族なり云々〉と。『食鑑』は元禄八年人見
元徳撰す。因って花驢は、少なくとも今より二百年前本邦へ渡った事ありと知る。花驢は....
「松と藤芸妓の替紋」より 著者:三遊亭円朝
て教育しなくては、そして御親類と申すのは何ういうなんです」 ふみ「はい、私の兄で
元徳川の士族でございまして、大西徳左衞門という者の総領で、この兄の名は徳造と申し....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
三十三歳 山内容堂 四十歳 徳川慶喜 三十歳 島津久光 五十歳 毛利
元徳 二十八歳 鍋島閑叟 五十四歳 小栗上野 四十一歳 近藤勇 ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
その腹に尊良親王・宗良親王のような英邁の皇子がお生れになっている。為世は自足して
元徳四年出家し、八十の高齢で華々しい栄華を一とまず閉ざした。その後、高野山の蓮花....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
」 菊王としては、行くての空へ、眉をくもらせずにいられなかった。 ことしは、
元徳二年。 その三月十二日だ。 すぐる三日間にわたる天皇の南都行幸は、聖武の....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、ほとんど松ばかりの砂地だが、摂河泉の街道、木妻ノ辻の辺は柳が多い。 明けて、
元徳三年。 もう花は散ッて春も四月に入っている。 柳の青は、そこの“木妻百軒....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
もない明瞭な陳弁だった。 かつは鰐淵寺は、都の比叡山延暦寺の有力な末寺であり、
元徳三年のころ、ときの叡山の座主大塔ノ宮のおはからいで、勅願所ともなっている関係....
「随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
いう観点から、書いてみたい。 ついでに言っておけば、私本太平記の今のところは、
元徳二年だが、その
元徳二年は、兼好法師四十八歳のときで、彼はすでにぼつぼつ何処か....
「ダルマ船日記」より 著者:山之口貘
、魚みたいな眼をして潮の加減を伺っているようだ。 夕方。六さんと、三つ目通りの
元徳稲荷の縁日を振らついた。 お茶の半斤と、糠味噌漬にする胡瓜と菜っ葉とを買い....