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元慶
「元慶〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
元慶の前後の文節・文章を表示しています。該当する7件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
載してある。貞観十年七月の地震は、京都というよりは山城一円と播磨とに跨っていた。
元慶四年十月の地震は、京都と出雲が震い、同年十二月には、京都付近が震うた。仁和三....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
昭僧正に就いて受く、叡山に五大院を構へ屏居《へいきよ》して出でず、著述を事とす、
元慶八年勅して
元慶寺の座主《ざす》たらしめ、伝法|阿闍梨《あじやり》に任ず、終る....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
ありました。 そして、その中には、五百羅漢を彫った当羅漢寺の創建者である松雲|
元慶禅師の観音もありましたこと故、私の修業時代は、本所の五ツ目の五百羅漢寺といえ....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
の作。または天狗長兵衛と綽名のある名工の手の籠んだ作がある。それから羅漢仏師松雲
元慶禅師の作がある。けれども、それらが御首や、手や脚や、台坐、天冠などが手荒らに....
「幕末維新懐古談」より 著者:高村光雲
、私のおねだりするのはそれではありません。これです」 私の撰み取ったのは、松雲
元慶禅師のお作でした。 「そうか。それを欲しいのか。じゃ、譲ってやろう。お前が一....
「本州における蝦夷の末路」より 著者:喜田貞吉
一旦従っていたものもだんだん背いて参ります。綿麻呂の頃から五六十年後の陽成天皇の
元慶年間には、出羽方面において、今の秋田県地方の蝦夷が国司の悪政を恨んで暴動を起....
「春雪の出羽路の三日」より 著者:喜田貞吉
はあったが、その後なお久しく民夷雑居の境であった。天平の開通を距る約百四十年後の
元慶四年において、出羽の国司はこんなことを上言している。 管諸郡の中、山北の雄....