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「元服〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

元服の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
箕輪心中」より 著者:岡本綺堂
ともあるが、ことし十八とはいうものの、小柄で内端《うちわ》で、肩揚げを取って去年元服したのが何だか不似合いのようにも見えるほどな、まだ子供らしい初心《うぶ》の十....
玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
仰せられて、お師匠さまが千枝太郎と呼びかえて下された。しかも泰親の一字を分けて、元服の朝から泰清《やすきよ》と呼ばるるのじゃ」 「千枝太郎泰清……ほんに立派な名....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いか」 「みんないい人ですよ。それに若殿さまはここらでも評判の綺麗なかたで、去年元服をなさいましたが、前髪の時分にゃあ忠臣蔵の力弥《りきや》か二十四孝の勝頼《か....
親子」より 著者:有島武郎
物心のついた時には父は遠島になっていて母ばかりの暮らしだったので、十二の時にもう元服して、お米倉の米合を書いて母と子二人が食いつないだもんだった。それに俺しには....
青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
をつとめていた。父もおなじく喜兵衛といって、せがれが十六の夏に病死したので、まだ元服したばかりのひとり息子が父の名をついで、とどこおりなく跡目を相続したのである....
桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
田氏あることを知らしめた信秀が年四十二をもって死んだ。信秀死する三年前に古渡城で元服して幼名吉法師を改めた三郎信長は、直に父の跡を継いで上総介と号した。 信秀....
」より 著者:菊池寛
であり味方にとっては信頼の的であった。 「新兵衛どの、おり入ってお願いがある」と元服してからまだ間もないらしい美男の士は、新兵衛の前に手を突いた。 「なにごとじ....
八幡太郎」より 著者:楠山正雄
たという夢を見ると、間もなく八幡太郎が生まれました。七つの年に石清水八幡のお宮で元服して、八幡太郎義家と名のりました。 義家は子供の時から弓がうまくって、もう....
牛若と弁慶」より 著者:楠山正雄
で牛若と弁慶は、主従のかたい約束をいたしました。 四 牛若は間もなく元服して、九郎義経と名のりました。そしてにいさんの頼朝をたすけて、平家をほろぼし....
稚子法師」より 著者:国枝史郎
念じ主水は益々馬側をしめ付け乗っ立って走らせるのであった。 主水は生年十八歳、元服の時は過ぎていたが、主君の命で前髪を尚艶々しく立てていた。主君と彼との関係は....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
母で、小石川に千二百石取の屋敷を構えている渋川|伊織助の母の真弓であった。播磨は元服すると同時に父をうしない、つづいて母にも別れたので、彼の本当の親身というのは....
おせん」より 著者:邦枝完二
は、市村座の座元羽左衛門をはじめ、坂東彦三|郎、尾上菊五|郎、嵐三五|郎、それに元服したばかりの尾上松助などの一|行であった。 いずれも編笠で深く顔を隠したま....
武士を夷ということの考」より 著者:喜田貞吉
、一般武士を言えるものなりとす。 『増鏡』つげの小櫛の条に、 御子は十月三日御元服し給ひて、久明の親王と聞こゆめり。同じき十日の日、院よりやがて六波羅の北の方....
帯の巾が広すぎる」より 著者:上村松園
振袖は一尺七、八寸からせいぜい二尺位でございましたでしょう。 振袖は男女ともに元服以前につけたものが、だんだん若いお女中に用いられたものでございます。昔はこの....
奥州における御館藤原氏」より 著者:喜田貞吉
うたのであった。この月十日附権中納言経房の「奉書」に、 奥州貢金の事、明年の御元服料と云ひ、院中の御用と云ひ、旁所用等あり。而して泰衡空く以て懈怠す、尤も奇怪....