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兆民
「兆民〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
兆民の前後の文節・文章を表示しています。該当する12件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「或る女」より 著者:有島武郎
ょうじょう》」という文芸雑誌だの、春雨《しゅんう》の「無花果《いちじく》」だの、
兆民居士《ちょうみんこじ》の「一|年有半《ねんゆうはん》」だのという新刊の書物も....
「近時政論考」より 著者:陸羯南
、三の同志を糾合し、たとえ暫時なりとも『東洋自由新聞』を発行せしこと、および今の
兆民居士、中江篤介氏が帷を下して徒を集め、故田中耕造氏らとともに仏国の自由主義を....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
二十一年である。一月に『東海暁鐘新報』は改題して東海の二字を除いた。同じ月に中江
兆民が静岡を過ぎて保を訪うた。
兆民は前年の暮に保安条例に依って東京を逐われ、大阪....
「文学における今日の日本的なるもの」より 著者:宮本百合子
代からのより社会的性質のつよい文筆家たちは「経国美談」の作者の矢野龍溪にしろ中江
兆民にしろ、主として新聞人として活躍していることである。作者紅葉とは編輯者対寄稿....
「今日の文学の展望」より 著者:宮本百合子
治社会と文化との生成の間、全く未開のまま通過され異質のものに覆われてしまった中江
兆民の時代の思想の意義を、抹殺していることは、小林氏がこの私小説論の後、変化しゆ....
「婦人と文学」より 著者:宮本百合子
はっきり語っているのである。 明治二十三年の国会開設を目前にして、かつての中江
兆民、板垣退助の自由民権運動は急速に圧迫し終息させられはじめていた明治二十年。明....
「文士としての兆民先生」より 著者:幸徳秋水
官吏、教師、商人としての
兆民先生は、必ずしも企及すべからざる者ではない。議員、新聞記者としての
兆民先生も....
「日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
唯物論は、かつて、啓蒙哲学としては福沢諭吉氏によって、フランス唯物論としては中江
兆民氏によって、ドイツ唯物論としては加藤弘之氏によって代表されたが、第一のものは....
「繻珍のズボン」より 著者:宮本百合子
ろ「希臘二賢の語に就て」を書いたりしていた津田真道やその頃大いに活動していた中江
兆民などとは、人生の見かたの方向に於ては対蹠的な立場に立つようになったのであった....
「妾の半生涯」より 著者:福田英子
、市民に款待《かんたい》せられんことは、思い設けぬ所なりしといいつつも、故|中江
兆民《なかえちょうみん》先生、栗原亮一《くりはらりょういち》氏らの厚遇を受け給い....
「読書遍歴」より 著者:三木清
その仕事の重要さをよく話しておられた。私どもは教室でもしばしばこの先生から、中江
兆民、福沢諭吉、徳富蘇峰、三宅雪嶺などについて聞かされたものである。しかし私はそ....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
よって東京に輸入されたということだけを註して置きたい。角藤に芝居を勧めたのは中江
兆民居士である。居士はその当時、かの保安条例で東京を逐われて、しばらく大阪に住ん....