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「兇徒〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

兇徒の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜行巡査」より 著者:泉鏡花
たんわが眼《まなこ》に検察して、異状なしと認めてこれを放免したるものなればなり。兇徒《きょうと》あり、白刃を揮《ふる》いて背後《うしろ》より渠を刺さんか、巡査は....
幽霊塔」より 著者:黒岩涙香
賞の為には一入《ひとしお》熱心を増した様だ、けれど少しの手掛りも得ぬ。余を刺した兇徒は何者、お浦の紛失は何の為、依然として黒暗々だ、強いて手掛りと名を附ければ名....
自叙伝」より 著者:大杉栄
。 が、あとで聞くと、それは本当に礼ちゃんだったので、その市民大会のすぐあとで兇徒聚集という恐ろしい罪名で未決監に入れられた時に、礼ちゃんが僕の留守宅に見舞い....
」より 著者:徳田秋声
。 「それにこの家の厠の位置が、私何だか気に喰いませんよ。」 人殺しをしたある兇徒の妾が、ここにいたことがあるという話が、近所の人の口から、お銀の耳へじきに入....
冥土行進曲」より 著者:夢野久作
では事件の真相が判明せず、些からず困惑している模様で御座います。 しかし、その兇徒の人相風采は目撃者の説明によって詳細判明しておりますから遅くも明夜までには逮....
獄中記」より 著者:大杉栄
紙条令違犯(朝憲紊乱) 五カ月 三、治安警察法違犯(屋上演説事件)一月半 四、兇徒聚集罪 (電車事件) 二カ年 官吏抗拒罪 五、 (赤旗事....
獄中消息」より 著者:大杉栄
るをもって人生の全部と心得ているようなものを指したのではあるまい。僕秀湖に問う。兇徒聚衆の女学生! これこそ真に「痛快なるハイカラ女学生」じゃあるまいか。 ....
赤格子九郎右衛門」より 著者:国枝史郎
た。 江戸の治安を司る町奉行の驚きは何んなだったでしょう。以前にも優して厳重に兇徒の行方を探がされたことは云う迄も無いことで厶ます。併し依然として行方が知れぬ....
正雪の遺書」より 著者:国枝史郎
―徳川も今は三代となり平和の瑞気|充々て見ゆれど、遠くは豊臣の残党や近くは天草の兇徒の名残り、又はご当家の御代となって取り潰された加藤、福島の、遺臣の輩、徳川家....
魔都」より 著者:久生十蘭
。正確にいえば、この戦闘は午前三時五十二分に始って、同四時十二分に終った。十人の兇徒は二台の軽機関銃とトムソン・ガンで、最後まで剽悍に抵抗したが、四時十二分にと....
雨夜続志」より 著者:田中貢太郎
十三日、妙義山麓の陣場ヶ|原に集合した暴徒を指揮して地主高利貸警察署などを屠った兇徒の一人として、十年に近い牢獄生活を送り、出獄後は北海道の開墾に従事したり、樺....
三国志」より 著者:吉川英治
。 かの大賢良師張角が、戸ごとに貼らせた黄いろい呪符もすべてはがされて、黄巾の兇徒は、まったく影をひそめ、万戸泰平を謳歌するかに思われた。 しかし、天下の乱....
私本太平記」より 著者:吉川英治
いう。 しかし「元弘日記」によれば、この夜の暗夜行も御無事ではなく、待ち伏せた兇徒との間に小戦闘も行われたとあるから、為に、天皇の御輿にも、外れ矢、狙い矢など....
私本太平記」より 著者:吉川英治
に伝わるものだが、出陣のはなむけに、其許へとらせる。この旗をかかげて、一日も早く兇徒を退治いたせ」 と、高氏へ与えた。 このほかなお、乗りかえ馬一頭に、こが....
私本太平記」より 著者:吉川英治
村は、むかし源義経の所領地であった。またここの八幡宮は、源頼義が参籠して、四方の兇徒を討ち平げ、諸民を安からしめたという縁起がある。その縁起もよい。 寅の一天....