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「先代萩〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

先代萩の前後の文節・文章を表示しています。該当する8件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
たんです。女の浅はかとひと口に云ってしまえばそれ迄ですが、お福としては一生懸命、先代萩の政岡といったような料簡で、忠義|一途《いちず》に坊ちゃんを守護しようと決....
綺堂むかし語り」より 著者:岡本綺堂
と云うのも、下戸のわたしに取ってはまことにふさわしいことであった。 最後には「先代萩」で名高い政岡を挙げる。私はいわゆる伊達騒動というものに就いて多くの知識を....
惜別」より 著者:太宰治
がら、われもし政宗公の時代に生れていたならば、と埒も無い空想にふけり、また、俗に先代萩の政岡の墓と言われている三沢初子の墓や、支倉六右衛門の墓、また、金も無けれ....
大菩薩峠」より 著者:中里介山
ろうが、枉《ま》げて拝見の許されねえという掟《おきて》はあるめえ。 狂言で見た先代萩――そうだ、そうだ、あの、きらびやかな御殿や、床下がこの御城内にあるのだっ....
鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
、その万金の側に食料品屋が出来て、屋根一ぱいの看板をあげたのが浅田飴の広告で、「先代萩」の飯焚場の鶴千代君の絵でした。「空き腹に飯」という文句がよく出ていました....
四月号の創作三つ」より 著者:平林初之輔
てはくどいように思うが。「安死術」の方も継子《ままこ》いじめがあまりに深刻で、『先代萩』の政岡の場でも見るような印象を与えられる。「安死術」というような新しい名....
明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
役者であるということを私もたしかに承認した。 粂八はその後、ここの舞台で「実録先代萩」の局浅岡や「処女評判善悪鑑」の娘お浅などを見せた後、さらに浅草の吾妻座に....
米国の松王劇」より 著者:岡本綺堂
の雨はまだ音を立てて降っていました。 この成功に気乗りがして、来月の試演には『先代萩』を上場するとか聞きましたが、どうなったか知りません。(大正八年四月、紐育にて)....