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「先師〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

先師の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
夜明け前」より 著者:島崎藤村
一応は父にことわって行こうとした。平田篤胤はすでに故人であったから、半蔵が入門は先師没後の門人に加わることであった。それだけでも彼は一層自分をはっきりさせること....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
ーロッパを受けいれるか、受けいれないかは、多くの同時代の人の悩みであって、たとい先師|篤胤がその日まで達者に在世せられたとしても、これには苦しまれたろうと思われ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
|篤胤の稿本類がいつ兵火の災に罹るやも知れないと心配し出したのは、伊那の方にある先師没後の門人仲間である。座光寺村の北原稲雄が発起で、伊那の谷のような安全地帯へ....
夜明け前」より 著者:島崎藤村
であった。鈴の屋の翁以来、ゆかりの色の古代紫は平田派の国学者の間にもてはやされ、先師の著書もすべてその色の糸で綴じられてあるくらいだが、彼半蔵もまたその色を愛し....
ルバイヤート」より 著者:小川亮作
ら、ゲーテは多大の影響を受けたと言われている。もしも彼にしてハーフェズの創作上の先師であったオマル・ハイヤームを知っていたならば、この東方に深く憧れた詩人の『西....
梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
聖を越えていたかを察する事が出来るであろう。 明治二十五年(翁七十六歳)九月、先師喜多能静氏の年回(二十五回忌)として追善能が東都に於て催さるる事となった。 ....
白金之絵図」より 著者:泉鏡花
ながらでは、ソッとも、嘘にも泣けませぬ。 泣け! 泣かぬか! 泣け、と云うて、先師匠が、老人を、月夜七晩、雨戸の外に夜あかしに立たせまして、その家の、棟の瓦を....
山の湯雑記」より 著者:折口信夫
るのもおかしいが、やっぱり今年は、度々これを喰べた。七月の五日、鶴岡の町であった先師三矢重松先生の歌碑の除幕式に出掛けて、其後ずっと出羽の山々を歩いて居た訣だが....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
おいそういう細かしきことになったのである。 本書で試みた一首一首の短評中には、先師ほか諸学者の結論が融込んでいること無論であるが、つまりは私の一家見ということ....
南国太平記」より 著者:直木三十五
め入りの節、火焔の破頂にて和と判じて大功を立てて以来《このかた》、代々の兵道方、先師達、一人として、その偉効を顕現したことはござりませぬ。徒《いたず》らに、秘呪....
歌の円寂する時」より 著者:折口信夫
来たのではないかと心愉しんで見て居る。氏は用語に於いて、子規よりも内律を重んじた先師左千夫の気質を承いで、更に古語によらなければ表されない程の気魄を持って居る。....
白花の朝顔」より 著者:泉鏡花
うよりおなじ先生についた、いわば同門の弟子兄妹……」 こう話しかけた、境辻三の先師は、わざと大切な名を秘そう。人の知った、大作家、文界の巨匠である。 ……で....
江戸芸術論」より 著者:永井荷風
漸《ようや》く忘れらるるを待ちて(弘化《こうか》二年)歌川国貞また自《みずか》ら先師の名を継ぎ同じく二代豊国と称しぬ。国貞は天明六年に生れ元治《げんじ》元年七十....
向嶋」より 著者:永井荷風
んじん》。東ニ波山ヲ瞻《み》レバ翠鬟《すいかん》拭フガ如シ。マタ宇内ノ絶観ナリ。先師|慊叟《こうそう》カツテ予ニ語ツテ、吾京師|及《および》芳山ノ花ヲ歴覧シキ。....
法然行伝」より 著者:中里介山
十七で大往生をとげた。霊異のことが数々あるけれども記さず。 勢観房源智は、 「先師法然上人の念仏の義道をたがえずに申す人は鎮西の聖光房である」といわれた。そこ....