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「光明皇后〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

光明皇后の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
茶の本」より 著者:岡倉覚三
花の夢と混ずるように、舟中に眠ったと伝えられている。この精神こそは奈良朝で有名な光明皇后のみ心を動かしたものであって、「折りつればたぶさにけがるたてながら三世の....
大切な雰囲気」より 著者:小出楢重
一点を私はいつも感じて眺めているのである。 この本尊である薬師如来は、そもそも光明皇后眼病|平癒祈願のためにと、ここの尼僧は説明してくれたと記憶するが、それで....
明治美人伝」より 著者:長谷川時雨
ほほ》、鼻は大きからず高すぎもせぬ柔らか味を持ち、いかにものどやかに品位がある。光明皇后《こうみょうこうごう》の御顔をうつし奉《たてまつ》ったという仏像や、その....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
○ 吾背子と二人見ませば幾許かこの零る雪の懽しからまし 〔巻八・一六五八〕光明皇后 藤皇后(光明皇后)が聖武天皇に奉られた御歌である。皇后は藤原|不比等....
嫉みの話」より 著者:折口信夫
、水の系統のお方が第一位に出られるときには、いろいろと議論が起こった。水の系統の光明皇后が出られたときは、聖武天皇が宣命の中で、わけを説いておられる。だいたい、....
東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
おります。それからまた日本にのみあって非常に不審に思われておったことがあります。光明皇后が百万塔を作られた。百万塔を作られたその中に入れられた小経は慥に版になっ....
古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
、美しさから受ける恍惚の心持ちに、何とも言えぬ新鮮さを添えてくれる。 この堂は光明皇后の建立にかかるもので、幾度かの補修を受けたではあろうが、今なお朗らかな優....
中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
くな降りそ紅に匂へる山の散らまく惜しも という歌がある。これは天平十一年冬十月に光明皇后の営まれた維摩講においてうたわれたもので、終日|大唐楽や高麗楽のような舶....
宮本武蔵」より 著者:吉川英治
そうな大きな杉林の西側にあたっていて、寧楽朝の世の盛りを偲ばせる元林院|址とか、光明皇后が浴舎を建てて千人の垢を去りたもうた悲田院|施薬院の址などもあるが、それ....
俗法師考」より 著者:喜田貞吉
元興寺衰頽の後のことと察せられる。『八重桜』には、悲田院はもと元興寺中の一院で、光明皇后開基だとあるが、もとより採るに足らぬ。その所在も元興寺境外である。悲田院....
融和問題に関する歴史的考察」より 著者:喜田貞吉
ましたが、その被収容者は、やはり非人と呼ばれたものでありました。悲田院とは、昔、光明皇后のお始めになったもので、今でいえばまさに孤児院、養育院、養老院に当たるも....
天皇と競馬」より 著者:吉川英治
る。奈良朝の文武帝に始まるというから、仏教と前後して渡った事かもしれぬ。聖武帝と光明皇后。また、代々の天皇、春宮、上皇、女院、藤壺ノ君などが、群集と共に、笑みを....
正倉院展を観る」より 著者:吉川英治
しれないと思ったほどだ。 博物館の第一室では、いきなりあの楽毅論の臨書にふれ、光明皇后その人をじかに見た気がしたのである。華|奢高遊の風流天子、聖武天皇のおき....