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「児島高徳〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

児島高徳の前後の文節・文章を表示しています。該当する9件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
踊る地平線」より 著者:谷譲次
ついたゲルマンの鷲の鳥籠だ。立って眺めていると、うしろに人のけはいがした。独逸の児島高徳に相違ない。老夫婦が一組、私たちがいるのも眼にはいらないふうで、感慨無量....
マダム貞奴」より 著者:長谷川時雨
それは実際の困窮を知らぬものには想像もつきかねるいたましさである。舞台に立って、児島高徳《こじまたかのり》に投げられた雑兵《ぞうひょう》が、再び起上って打向って....
虎狩」より 著者:中島敦
。龍山の小学校へ転校してから二三日|経《た》ったある日、その日も読方の時間に、「児島高徳」のところで、桜の木に書きつけた詩の文句を私が読み始めると、皆がどっと笑....
志士と経済」より 著者:服部之総
備中連島は旗本山崎家の知行所五千石の一部で、三宅定太郎はこの地方きっての旧家、児島高徳《こじまたかのり》の後裔と称し、六十余町歩の田地を持ち、山崎家の民政顧問....
私本太平記」より 著者:吉川英治
はあるな」 「されば、先帝の隠岐送りも、行く先、すこぶる危ないもので、おそらく、児島高徳の一類に楠木の与党も交じって、その途上に、手ぐすね引いて、おろうかと観ら....
私本太平記」より 著者:吉川英治
備中にまでわたる諸州の武士の名であった。それがみなお味方を誓って来ていた。中には児島高徳らの名もみえた。 しかし、児島高徳の名も、ここの参陣の“簿”のうちでは....
私本太平記」より 著者:吉川英治
敵は、三方にみられる。 本軍はもちろん男山八幡の方面にあった千種の中将と、児島高徳の約一万で、たれやら後醍醐の皇子のうちの御一名を上にいただき、小幡、竹田....
私本太平記」より 著者:吉川英治
福山ノ城(幸山城とも、後に高山城とも呼び、備後福山とは別)から近い熊山にいた児島高徳にしてもまたそうだ。このさい、その高徳についてすこし述べておく要もあろう....
随筆 私本太平記」より 著者:吉川英治
むずかしい幻の人物なので、その調べにも扱いにも苦吟させられる。 古いことだが、児島高徳非存在説が一時史界をふうびした時代があった。重野、久米博士など抹殺論の方....