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児玉
「児玉〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
児玉の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「彼岸過迄」より 著者:夏目漱石
に平凡を忌《い》む浪漫趣味《ロマンチック》の青年であった。かつて東京の朝日新聞に
児玉音松《こだまおとまつ》とかいう人の冒険談が連載された時、彼はまるで丁年《てい....
「満韓ところどころ」より 著者:夏目漱石
すべき場所と云う標題《みだし》のもとには、山城町《やまぎちょう》の大連医院だの、
児玉町《こだまちょう》の従業員養成所だの近江町《おうみちょう》の合宿所だの、浜町....
「海野十三敗戦日記」より 著者:海野十三
良一、古野伊之助、池崎忠孝、徳富蘇峰、大川周明、太田正孝、正力松太郎、横山雄偉、
児玉誉士夫 以上五十九名 ◯蘇峰翁の所感詩一篇あり 血涙為誰振 丹心白首違 ....
「厳島合戦」より 著者:菊池寛
ものだ。 元就が鼓の浦へ上陸しようとする時、雨が頻りに降ったので、輸送指揮官の
児玉|就忠が、元就に唐傘をさしかけようとしたので、元就は拳を以て之を払除けた。 ....
「天主閣の音」より 著者:国枝史郎
がパチパチと飛び翔けた。気持のよい微風が吹き過ぎた。ひどく気持のよい日であった。
児玉を過ぎ、庄内村を通り、名塚を越すと土手であった。 眼の下に広い川が流れてい....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
、この半蔵には容易でなかった。良師のないのが第一の困難であった。信州|上田の人で
児玉政雄という医者がひところ馬籠に来て住んでいたことがある。その人に『詩経』の句....
「梅津只円翁伝」より 著者:杉山萠円
に当る黒田藩士梅津源蔵正武氏(正利氏令息で隠居して一朗といった)と、その妻判女(
児玉氏)との間に一女二男が生まれた。 兄は文化十四年丁丑四月十七日出生、梅津源....
「宇宙戦隊」より 著者:海野十三
間でいってわずか五分ばかりのところだった。そこへまっ先にのぼりついたのは、助手の
児玉という法学士だった。彼は坂の下に、天幕が立ち停っているのを発見した。それを見....
「社会時評」より 著者:戸坂潤
背任横領で告発され、藪蛇の結果を見たのである。 四カ月に亙る学園の紛争自身は、
児玉秀雄伯の総長就任と共に解決したが、解決しないのは学園の会計に関わる小原氏の一....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
この頃の石鐵県には県令はなくて、参事に土州人の本山茂任氏が居た。権参事は大洲人の
児玉某氏が命ぜられたけれども赴任せずに終った。間もなく、政府は小さい県を合併せら....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
年はたっているかも知れんが、それを二千年も昔からの物だと言いふらしているのだよ。
児玉郡と秩父郡の境界の山奥にある小さな祠さ」 「ウチと関係があるんですか」 「一....
「銀三十枚」より 著者:国枝史郎
ていた。 公園を出ると町であった。町の燈も冬霧に埋もれていた。 名古屋市西区
児玉町、二百二十三番地、二階建ての二軒長屋、新築の格子造り、それが私の住居であっ....
「岩魚」より 著者:佐藤垢石
なんたる運命に魅入られた石坂家であろう。 清一は二十三歳のとき、大正十五年武州
児玉郡大幡から、嫁のきみを入れた。利根川の対岸宮郷村から嫁にきた裕八郎の妻ふゆは....
「わが童心」より 著者:佐藤垢石
眺望する四辺の山々に、眼を一巡させたが、秩父の連山はさらに東南へ低く伸びて、武州
児玉郡か北埼玉郡の草野のなかに、裾を没している。 そこはもう、広茫たる関東平野....
「知々夫紀行」より 著者:幸田露伴
の路に合する路を人の取ることも少からずと聞く。同じ汽車にて本庄まで行き、それより
児玉町を経て秩父に入る一路は
児玉郡よりするものにて、東京より行かんにははなはだし....