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入唐
「入唐〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入唐の前後の文節・文章を表示しています。該当する11件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「十二支考」より 著者:南方熊楠
、マレー半島その他虎の産地には大抵この俗信が存する、わが邦にも道照《どうしょう》
入唐して役行者《えんのぎょうじゃ》が化けた虎を見たと伝う、とにかくトテミズムと※....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
ち折るを漢代の俗天が竜を取るといったと見え、『法顕伝』に毒竜雪を起す、慈覚大師『
入唐求法記』に、竜闘って雹《ひょう》を降らす、『歴代皇紀』に、伝教《でんぎょう》....
「旅愁」より 著者:横光利一
、身を持ち崩して唐朝の厄介になったり、いろいろしてるよ。円載なんどという坊主は、
入唐僧の間でも排斥をくってお負けに帰りに沈没して溺死してる。歴史に現れている人物....
「ドナウ源流行」より 著者:斎藤茂吉
て自ら慰めたのであった。霊仙は、興福寺の僧で、延暦二十二三年ごろ最澄、空海と共に
入唐した。或はもっと早く宝亀年中だという考証もある。そして長く向うに居た。長安醴....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
って作った歌である。憶良は文武天皇の大宝元年、遣唐大使|粟田真人に少録として従い
入唐し、慶雲元年秋七月に帰朝したから、この歌は帰りの出帆近いころに作ったもののよ....
「西鶴と科学」より 著者:寺田寅彦
べ「遠国を見ねば合点のゆかぬ物ぞかし」と駄目をおし、「むかし嵯峨のさくげん和尚の
入唐あそばして後、信長公の御前にての物語に、りやうじゆせんの御池の蓮葉は、およそ....
「東洋文化史における仏教の地位」より 著者:高楠順次郎
ない人で、奈良の興福寺から留学した霊仙法師、これが弘法大師、伝教大師などと一緒に
入唐した、若いのに偉かってシナ学僧の上座に立ちて訳場の首席であった。そのため嫉み....
「火葬と大蔵」より 著者:喜田貞吉
は古くから行われていたものらしい。そしてその葬法が仏法とともに我が国に伝わって、
入唐求法の道照和尚によって始めて実行されたということは、まさにしかるべき出来事で....
「国号の由来」より 著者:喜田貞吉
例が始まり文武天皇の御代大宝令の制定に至りて、初めて我が国号として、翌年遣唐使の
入唐に際し、これを彼に通告したという順序となるのである。 しかしながら、それは....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
しめられたが、なお彼は日本渡来の願望を捨てなかった。 天平勝宝五年秋に至って、
入唐大使藤原清河、副使|大伴胡麿、吉備真備などが、揚子江口なる揚州府の延光寺に和....
「法然行伝」より 著者:中里介山
こう》の五師を抜き出でて一宗の相承をたてた。その後俊乗坊|重源《ちょうげん》が、
入唐《にっとう》の時法然が云うのに、 「唐土に右の五祖の影像があるに相違ない。必....