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入城
「入城〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入城の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
つをまんまとわなにひっかけて、椎の実の中の手品から今夜上さまのお忍びで江戸からご
入城のこともわかり、あいつらの計画もいっさいがっさいねたがあがっちまったから、そ....
「十八時の音楽浴」より 著者:海野十三
の中から言った。 「もちろんこの有様では、火星のロケット艦をやすやすとミルキ国に
入城させるより外ありません。せめてここに百名の強健な兵士がおれば、国都は一時支え....
「クララの出家」より 著者:有島武郎
てすやすやと静かに眠りつづけていた。千二百十二年の三月十八日、救世主のエルサレム
入城を記念する棕櫚の安息日の朝の事。 数多い見知り越しの男たちの中で如何いう訳....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
その男がグスタフス・アドルフスに近づいた端緒というのは、王がランデシュタット市に
入城した時で、その際に猶太窟門の側で雷鳴に逢い、乗馬が狂奔したのを取り鎮めたから....
「田原坂合戦」より 著者:菊池寛
程であった。乃木は更に福岡の大隊を指揮する為に、熊本を去ったが、熊本から、直ちに
入城すべしと云う急電を受けるや、すぐ引返した。二十二日午前六時|南関を立って十一....
「碧蹄館の戦」より 著者:菊池寛
た後再び路を分って進み、五月二日の夕方に清正は南大門から、行長は東大門から京城に
入城した。京城附近の漢江に清正行き着いた時、河幅三四町に及ぶが、橋が無いので渡れ....
「真田幸村」より 著者:菊池寛
田城は、信幸の居城で、信幸の妻たる例の本多忠勝の娘が、留守を守っていたが、昌幸が
入城せんとすると曰く、既に父子|仇となりて引き分れ候上は、たとい父にておわし候と....
「武装せる市街」より 著者:黒島伝治
約六時間経って、王舎人荘で一夜をあかした南軍の顧祝同の第三師は夜があけると同時に
入城してきだした。つづいて、陳調元の第十三師と第二十二師が
入城した。ついさきほど....
「前哨」より 著者:黒島伝治
みつゞけた。 十一月十八日、その彼等の部隊は、東支鉄道を踏み越してチチハル城に
入城した。※昂鉄道は完全に××した。そして、ソヴェート同盟の国境にむかっての陣地....
「阿Q正伝」より 著者:井上紅梅
に動揺した。船の使命はもとより趙家の極秘であったが、茶館や酒屋の中では、革命党が
入城するので、挙人老爺がわれわれの田舎に避難して来たと、皆言った。ただ鄒七嫂だけ....
「風波」より 著者:井上紅梅
はない。むかしの釘は何だ……わしは七十九になった」 それから後でも七斤は日々に
入城したが、家内はいつも薄闇かった。 村人は大抵廻避して彼が城内から持って来た....
「赤坂城の謀略」より 著者:国枝史郎
。 それに相違ないからであった。 正成が赤坂城を捨てて出た後へ、六波羅の命で
入城し、城を修理して籠もったのは、たしかに湯浅定仏だったのであった。 が、その....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
あくる寛永十六年に姫路の城主本多政朝は因州鳥取に移されて、松平忠明が代って姫路に
入城することになった。忠明がそのおん礼として江戸に登城すると、将軍家光はそっと言....
「エリザベスとエセックス」より 著者:片岡鉄兵
ころのイギリス居留民に歓呼をもって迎えられた。彼はレインスタアから、ムンスタアに
入城した――くる日もくる日も、ろくでもない市城の攻略にすぎていった。エセックスは....
「戦争史大観」より 著者:石原莞爾
止むなきに至らしめ、敵を追撃して十日有名なるロジの敵前渡河を強行、十五日ミラノに
入城した。 五月末ミラノを発しガルダ湖畔に進出、ボーリューを遠くチロール山中に....