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入洛
「入洛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入洛の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
賊徒の族をして獲せしめんや」 と嚇怒して播磨を衝き、次いで義政の許しを得ないで
入洛した。当時此の駄々ッ児を相手に出来るのは細川勝元だけであった。 ....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
普通の地方武士など大体こんな調子であろう。伝うる所によれば、諸国から恩賞を請うて
入洛し、万里小路坊門の恩賞局に殺到する武士の数は、引きも切らなかったと言う。だか....
「魔法修行者」より 著者:幸田露伴
あった。それだのに植通はその信長に対して、立ったままに面とむかって、「上総殿か、
入洛めでたし」といったきりで帰ってしまった。上総殿とは信長がただこれ上総介であっ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
都の土を踏んで見た関東方の想像以上であったと言わるる。ちょうど水戸藩主も前後して
入洛したが、将軍家の
入洛はそれと比べものにならないほどのひそやかさで、道路に拝観....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
けにごたごたする家のなかのさまをながめながら、しばらくそこに立ち尽くした。藩主|
入洛の報知が京都へ伝わる日のことを想って見た。藩主が名古屋まで到着する日にすら、....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
ず彼のもとに落ちついて、伊勢屋に草鞋をぬいだ人たちだ。南信東濃地方から勤王のため
入洛を思い立って来る平田の門人仲間で、彼の世話にならないものはないくらいだ。 「....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
西国等から金米その他方物が京都に輸入され、また諸種の用件を帯びて遠国からわざわざ
入洛する者絶えず、故に京都には一定の地方を限りてその
入洛者に特に便宜を与える店舗....
「織田信長」より 著者:坂口安吾
ものがない。兵をまとめてサッと大和へにげのびて、神妙に降参した。 信長について
入洛し、将軍の位についた義昭は、万端信長の意にまかして、いかにも信長の恩義を徳と....
「奥羽地方のシシ踊りと鹿供養」より 著者:喜田貞吉
去る大正十二年、京都の都踊りでその手を取り入れるとの事で、宇和島から踊り子の一団
入洛して、祇園の歌舞練場でそれを演じた事があったが、踊り子の数八人、その中七人ま....
「新撰組」より 著者:服部之総
四年正月、すでに長州はじめ討幕派陣営の塵もとどめぬ、合体派天下の京都へ将軍は再び
入洛したが、四月になっても攘夷方策はおろか、長州征伐の段取りすら一決せず、諸侯は....
「無月物語」より 著者:久生十蘭
素麺売などという連中に直衣を着せ、なんと形容のしようもない異様な行列をしたがえて
入洛すると、馬を早乗りにして白川の邸へ馳せ戻った。 誰が告口したのか、伜どもが....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
窶れ方やら破れ衣のまま、怪しげな竹籠、伝馬、板輿などで、七条を東へ、河原のぼりに
入洛して来た。――見物のなかには、有縁の男女も多かったことだろう。涙をしばたたく....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
、事は瑣末だが、解けないしこりとなっていた。 宮が、信貴山をくだって、いよいよ
入洛されたのは、六月十三日。その下山の日の行粧も宮らしかった。 赤橋|則祐が千....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
に烈しく余りにも血なまぐさい。 時に、この十一日。 一方の尊氏軍は都の西から
入洛して、洞院ノ公賢の空館を、仮の本営とさだめていた。 同日、こんな事件があっ....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
れた『応安嗷訴記』の、 応安元年八月廿五日政所集会議曰、 重可事 来廿八日神輿
入洛事、三塔既令事。 とある記事を知るのみで、いまだ他の史料を発見しえぬが、彼....