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入間
「入間〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入間の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「武蔵野」より 著者:国木田独歩
一
「武蔵野の俤《おもかげ》は今わずかに
入間《いるま》郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてそ....
「富士」より 著者:岡本かの子
った。葛飾《かつしか》の真間の磯辺《おすひ》から、武蔵野の小岫《ぐき》がほとり、
入間路《いりまじ》の大家が原、埼玉《さきたま》の津、廻って常陸の国に入った。 ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
でになりました……。ははあ、四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換えて、所沢や
入間川《いるまがわ》を通って……。成程、陸《おか》を行くとそういう事になりましょ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
なぞを破壊した。前年の六月になっても米価はますます騰貴するばかりで、武州の高麗、
入間、榛沢、秩父の諸郡に起こった窮民の暴動はわずかに剣鎗の力で鎮圧されたほどであ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
月の入るべきところもないという武蔵野の、西の涯《はて》まで走らねばならぬ。川越、
入間川を経て、秩父根まで走らなければ、道は窮することなき武蔵野の枯野の末です。 ....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
、岩佐勝以の三十六歌仙だの、そんなものを見せてもらうことが出来れば幸だと思った。
入間川までは電車も相当混む、今は花時だから、それから先きが存外長いと思った、川越....
「万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
) 足柄の土肥の河内に出づる湯の世にもたよらに児ろが言はなくに (同・三三六八)
入間道の大家が原のいはゐづら引かばぬるぬる吾にな絶えそね (同・三三七八) 我背....
「明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
よう。礼を厚くもてなして、東太の教育をたのむがよい」 天鬼は秩父から約束通り、
入間玄斎、同人妻お里の両名をさしむけた。天鬼の知人にしては上品で落着いた人物。御....
「名人地獄」より 著者:国枝史郎
大杯で酒をあおりながら、談論風発しているのが、他ならぬ秋山要介であった。武州|
入間郡川越の城主、松平大和守十五万石、その藩中で五百石を領した、神陰流の剣道指南....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
松の賭場へ行くらしい) これが心外でならなかった。 今牛若と小天狗 1 武州
入間|郡赤尾村に、磯五郎という目明があり、同時に賭場を開いていて、大勢の乾児を養....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
今日では埼玉県
入間郡|高麗村ですが、昔は武蔵の国の高麗郡であり、高麗村でありました。東京からそ....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
りといわれている。その三日目、輿の列はまだやっと、武蔵国比企郡の低い山すそ道を、
入間川の方へさして行くのが小さく見られていたにすぎない。 「あと、幾夜を」 疲....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
して比企郡の将軍沢、須賀谷を経、やがて高麗郡の一端をさらに南へ、女影ヶ原、広瀬、
入間川という順に、いよいよ、武蔵野の青と五月の雲をのぞんでいた。 この間のこと....
「日本の伝説」より 著者:柳田国男
いますが、水が湧き出した話には、どうも大師様が多いようであります。東京の附近では
入間郡の三つ井という所に、弘法大師が来られた時には、気立てのやさしい村の女が、機....
「「特殊部落」と云う名称について」より 著者:喜田貞吉
のである。室町・戦国時代には、大名とも言われる程のものも、なお侍と云った。狂言「
入間川」に、
入間言葉の逆さまごとの滑稽から、自分で川の深みに陥り込んだ大名が、「....