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入間川
「入間川〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
入間川の前後の文節・文章を表示しています。該当する10件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
でになりました……。ははあ、四谷から甲武鉄道に乗って、国分寺で乗り換えて、所沢や
入間川《いるまがわ》を通って……。成程、陸《おか》を行くとそういう事になりましょ....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
月の入るべきところもないという武蔵野の、西の涯《はて》まで走らねばならぬ。川越、
入間川を経て、秩父根まで走らなければ、道は窮することなき武蔵野の枯野の末です。 ....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
、岩佐勝以の三十六歌仙だの、そんなものを見せてもらうことが出来れば幸だと思った。
入間川までは電車も相当混む、今は花時だから、それから先きが存外長いと思った、川越....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
ろ、尊氏すでに狩野河を発し、谷口から府中に入り、人見原にて激戦したが、義宗破れて
入間川に退き、二十八日|小手差原にて戦い、ふたたび破れて退いたが、この時は足利尊....
「安吾の新日本地理」より 著者:坂口安吾
峠を越えて秩父に通じ、東南は高麗峠を越えて飯能に、また高麗川を下れば川越市へでて
入間川から荒川となり(つまり高麗川が
入間川に注ぎ、
入間川が荒川にそそいで)昔の隅....
「宮本武蔵」より 著者:吉川英治
る。 田無の宿の草旅籠に、その日は早く泊り、翌日の道も、まだ武蔵野の原だった。
入間川の水は三倍にもなっていた。平常の土橋は川の中に取残され、何の用もなさなくな....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
りといわれている。その三日目、輿の列はまだやっと、武蔵国比企郡の低い山すそ道を、
入間川の方へさして行くのが小さく見られていたにすぎない。 「あと、幾夜を」 疲....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
して比企郡の将軍沢、須賀谷を経、やがて高麗郡の一端をさらに南へ、女影ヶ原、広瀬、
入間川という順に、いよいよ、武蔵野の青と五月の雲をのぞんでいた。 この間のこと....
「私本太平記」より 著者:吉川英治
た。――今の都下町田市本町田から鶴間ヶ原のあたりである。 味方の多くが死んだ。
入間川、小手指ヶ原、府中、分倍河原、関戸――と前線いたるところでやぶれ、岩松経家....
「「特殊部落」と云う名称について」より 著者:喜田貞吉
のである。室町・戦国時代には、大名とも言われる程のものも、なお侍と云った。狂言「
入間川」に、入間言葉の逆さまごとの滑稽から、自分で川の深みに陥り込んだ大名が、「....