八丈島[語句情報] »
八丈島
「八丈島〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
八丈島の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
めていなさるんだ。河童権に一服盛ったとがだきゃまげられますまいからね、十年ばかり
八丈島へでも行っておいでなせえよ。男もそれを知れば、ちったあ情にほだされて、また....
「右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
ながめ見しらべていましたが、ちらり、目を射たものは左手首の内側にはっきり見える「
八丈島」という三字のいれずみ文字です、――せつな! すばらしい右門流の慧眼《けい....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
一貫文の科料、猿公は世間をさわがしたという罪で遠島、永代橋から遠島船に乗せられて
八丈島へ送られました。奴は芝居小屋なんぞで窮屈な思いをしているよりも、島へ行って....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いう風に巧く云い取りをしたと見えて、こんにちでいえば情状酌量、罪一等を減じられて
八丈島へ流されることになりました。それを有難いと思っていればいいんですが、女のく....
「三人の双生児」より 著者:海野十三
う者です。姓の方に何か御記憶がありませんでしょうか」 その名刺の表には、 「南
八丈島医学研究所、医学博士|赤沢貞雄」 とあって、隅の方に「東京府
八丈島庁管下....
「名人長二」より 著者:三遊亭円朝
今日にて落着、一同立ちませい」 これで此の事件は落着になり、玄石と茂二作夫婦は
八丈島へ遠島になって、玄石は三年目に死去し、茂二作夫婦も四五年の内に死去いたした....
「空襲下の日本」より 著者:海野十三
離れた太平洋上にも、海軍の航空隊が頑張っている。東京湾の南へ二百キロ、伊豆七島の
八丈島には、海軍の
八丈島航空隊、その南方、更に六百キロの小笠原諸島の父島に、大村....
「日本天変地異記」より 著者:田中貢太郎
月の大地震である。九年の地震は、薩摩、大隅、土佐、遠江、伊勢、紀伊、伊豆、上総、
八丈島などで、海には海嘯が吼えた。 「土佐国群書類従」に載せた「谷陵記」には、「....
「後の業平文治」より 著者:三遊亭円朝
木稲荷の河岸は、流罪人の乗船を扱いまする場所でござります。尤も遠島と申しますのは
八丈島、三宅島にて、其の内佐渡は水掻人足と申しまして、お仕置の中でも名目は宜いの....
「荒磯の興味」より 著者:佐藤惣之助
いざ釣となると、魚はその本性に還って、より競争的に餌を求める。釣友大久保鯛生君は
八丈島から伊豆の荒磯に潜水し、よく魚の習性を研究しているが、特にクロダイの鋭敏な....
「娘煙術師」より 著者:国枝史郎
代たる松平|輝高に搦め捕られて、追放の刑に処せられた。そうして明和事件の際には、
八丈島へ流されることになった。しかるに
八丈島へ到着しない先に、三宅島において逝去....
「悪因縁の怨」より 著者:江見水蔭
帆の張り方を知って、どんな逆の風でも船を走らして、出没自在の海賊の棟梁、なんでも
八丈島沖の無人島で、黒船と取引もしていたッてえ、あ、あ、あの松五郎の娘……あの松....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
り集めて開場した。狂言は「ひらがな盛衰記」の逆櫓、「鬼一法眼」の菊畑、「為朝」の
八丈島、「梅川忠兵衛」の封印切から新口村などで、子供芝居流行の気運に乗じたためか....
「南半球五万哩」より 著者:井上円了
汽船に逢遇す。午後二時、船カナリア群島中の主島ラパルマ港に入る。本島はその形わが
八丈島のごとく、両側に山岳ありて、右方は小に左方は大、その中間に砂原ありてこれを....
「私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
一、生まれ故郷は三宅島 わが生まれ故郷三宅島は大島、
八丈島などとともに近世の流罪人の島として有名である。わたくしは先祖をたずねられる....