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八州
「八州〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
八州の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「入れ札」より 著者:菊池寛
つかしい山だ。もうここが死場所だと思ったが、神仏の冥護とでもいうか、よく千人近い
八州の捕手を斬りひらくことができたものだ。 喜蔵 親分、神仏が俺たちをかまって下....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
いるのを見た者があった。 二 「どうも朝夕はめっきり冷たくなりました」
八州廻りの目あかしの中でも古狸の名を取っている常陸《ひたち》屋の長次郎が代官屋敷....
「仇討三態」より 著者:菊池寛
年十月六日のことだった。 不幸にも、弟の盛次郎と伯父留二郎は、幸太郎と別れて関
八州を尋ねていた。幸太郎は思った。弟や伯父の三十余年に渡る艱難も、ただこの敵に一....
「小田原陣」より 著者:菊池寛
きこと、稲麻|竹葦の如し」 と『北条五代記』にある。如何にも五代の積威を擁して
八州の精鋭を集めただけあって、上方勢が攻めあぐんだのも無理はない。 九日には長....
「銅銭会事変」より 著者:国枝史郎
、ビッシリ人で一杯であった。捕り方の人数に相違なかった。騎馬の者、徒歩の者、……
八州の捕り方が向かったのであった。 銅銭会員は一団となった。やがて十人ずつ分解....
「剣侠」より 著者:国枝史郎
も埋め代えたということじゃ。……治承四年十月の候、源頼朝が府中の南、分倍河原に関
八州の兵を、雲霞の如くに集めたが、その時の費用もその金であり、ずっと下って南北朝....
「八犬伝談余」より 著者:内田魯庵
く死を待つ 獄中の計|愁を消すべき無し 法場|若し諸人の救ひを欠かば 争でか威名
八州を振ふを得ん 沼藺 残燈影裡刀光閃めく 修羅闘一場を現出す 死後の....
「入れ札」より 著者:菊池寛
上州岩鼻の代官を斬り殺した国定忠次一家の者は、赤城山へ立て籠って、
八州の捕方を避けていたが、其処も防ぎきれなくなると、忠次を初、十四五人の乾児は、....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
疑念をいだくのが一般観客の心理状態であったらしい。 歌舞伎座の狂言は近松の「関
八州繋馬」を桜痴居士が改作した「相馬平氏二代譚」を一番目に据えて、そのほかに「道....
「道鏡皇胤論について」より 著者:喜田貞吉
非望を懐いたものとしては、通例平将門が例示せられるのであるが、彼は乱世に乗じて関
八州に割拠し、独立を企てただけで、日本国の天子たらんとするのではなかった。しかも....
「狐」より 著者:岡本かの子
てもわたくしの正体を知ろうとはなさりませず……。 ――なまじ正体を現したら最後、
八州の役人へ引渡すぞ。 ――(女思い入れあって)仕方がございません。一夜なりとも....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
、江戸浅草に弾左衛門という者がありまして、鎌倉時代以来の穢多の頭として、これが関
八州の穢多を統率し、その支配の下に、すべての非人等がおりました。彼らの主張すると....
「エタ源流考」より 著者:喜田貞吉
徳川時代のエタは江戸と京都とを両中心としていた。江戸では有名なる弾左衛門が、関
八州から甲・駿・豆・奥の十二州(或いは参遠の一部をも)の「エタ頭」として、寛政十....
「賤民概説」より 著者:喜田貞吉
よりも一層有力なる者の家人となって、自らその爪牙に任じたものであった。かの一時関
八州を占領して独立をまで企てた平将門の如きも、もとは摂政藤原忠平の家人であった。....
「放免考」より 著者:喜田貞吉
犯人の首実検をなさしめ、目を以て証明をなさしめる事から起った名かと思われる。「関
八州古戦録」に、敵方の忍びの者を捕えて、後に重ねて敵から紛れ来るものの目明かしに....