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八瀬
「八瀬〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
八瀬の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「虞美人草」より 著者:夏目漱石
天武天皇の落ちたまえる昔のままに、棚引《たなび》く霞《かすみ》は長《とこ》しえに
八瀬《やせ》の山里を封じて長閑《のどか》である。 「この辺の女はみんな奇麗《きれ....
「艸木虫魚」より 著者:薄田泣菫
一つの抽斗から曲物を取り出し、中味をちょっぴり小皿に分けて客に勧めた。 「これは
八瀬の蕗の薹で、わしが自分で煮つけたものだ。」 客はそれを嘗めてみた。苦いうち....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
わたぐち》へ出るが、三条橋は渡らずに、比叡山の方へとずんずん進んで、それ、名代の
八瀬大原《はせおおはら》の方へ行く途中のところにその岩倉村というのがある。そこの....
「田舎がえり」より 著者:林芙美子
ん》と云う芝居を見ると、頭に花を戴いた大原女《おはらめ》が、わたしは一条大宮から
八瀬《やせ》へ帰るものでござりますると云う処があったが、遠い昔、一条大宮と云う処....
「新女大学」より 著者:福沢諭吉
大食勝手次第にして却て健康なる者多し。京都大阪辺の富豪家に虚弱なる子あれば、之を
八瀬大原《やせおおはら》の民家に託して養育する者ありと言う。田舎の食物の粗なるは....
「人生三つの愉しみ」より 著者:坂口安吾
方に石風呂の存在は多く、それは古い歴史をもつものらしいようである。又、京都郊外の
八瀬にはカマ風呂というものが明治まで在ったそうだ。そのいずれも石室の内部で生木を....
「俳人蕪村」より 著者:正岡子規
これを句尾に置く。 つゝじ咲《さい》て石うつしたる嬉しさよ 更衣《ころもがへ》
八瀬《やせ》の里人ゆかしさよ 顔白き子のうれしさよ枕蚊帳《まくらがや》 五月雨《....
「河伯令嬢」より 著者:泉鏡花
卿をはじめ、十三人の山伏の、鰐の口の安宅をのがれ、倶利伽羅の竜の背を越えて、四十
八瀬に日を数えつつ、直江の津のぬしなき舟、朝の嵐に漾って、佐渡の島にも留まらず、....
「憑き物系統に関する民族的研究」より 著者:喜田貞吉
はり極めての山間で、その東南一里半ばかりの土地には、かつて自ら鬼の子孫だと称した
八瀬童子の後裔が、今も現に住んでいる程であるから、鞍馬の護法たる地主神が威霊をも....
「六日月」より 著者:岩本素白
朝早く一乗寺村を歩いて、それから秋晴の
八瀬大原、帰りに鞍馬へ登って山端の駅まで戻って来ると、折から小春日の夕日を受けた....
「随筆 宮本武蔵」より 著者:吉川英治
庵などを案内するから、その帰り路にお廻りになればよろしい。わたくしもそれからすぐ
八瀬の方へ用事があるから、途中でおわかれするから猶ちょうどよい。 光悦寺と聞い....
「山の人生」より 著者:柳田国男
公の相撲の最手に召されました。この家は帰化人の末と申しています。次には京都に近い
八瀬の里の住民、俗にゲラなどと呼ばれた人々です。このことについては前に小さな論文....
「特殊部落の成立沿革を略叙してその解放に及ぶ」より 著者:喜田貞吉
中津川にも、その子孫と称する者が五家に分れているそうであります。また京都の東北の
八瀬人が、自ら鬼の子孫だと認めておった事は有名な話で、彼らはもと他村の者と縁組も....
「来り人の地位と職業」より 著者:喜田貞吉
他国者や風来人がやって来て、住み着こうとしても容易な事ではない。中には京都の北の
八瀬の様に、絶対に他村者をすら入れぬという頑固なところもある。よしやうまく住み着....
「俗法師考」より 著者:喜田貞吉
。現に吉野法師の子に土佐法師というのがあるのによっても立証せられる。徳川時代には
八瀬童子と呼ばれた
八瀬人が多く国名をその名としておった。これとそれといかなる関係....