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「八田〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

八田の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
姪子」より 著者:伊藤左千夫
なかった。 「旦那聞いてください、わし忌ま忌ましくなんねいことがあっですよ、あの八田の吉兵エですがね、先月中あなた、山刈と草刈と三丁|宛《ずつ》、吟味して打って....
夜行巡査」より 著者:泉鏡花
怪獣の眼《まなこ》のごとし。 二 公使館のあたりを行くその怪獣は八田義延《はったよしのぶ》という巡査なり。渠《かれ》は明治二十七年十二月十日の午....
単独行」より 著者:加藤文太郎
て大きな雪渓を辷りつつ下り佐坊へ出で、鍛冶屋から芳滝を通って小長辿に行きここから八田村へ越す峠へ登って行く。肥前畑へ下る前に眺望開けて扇ノ山と立山すなわちブナの....
支倉事件」より 著者:甲賀三郎
こで私が出獄さして頂けば、弁護士初め勝尾警部、神戸牧師、佐藤司法主任、庄司署長、八田警視総監等に会うて甘く局が結べるようにさせて頂きます。私は此処に繋がれて居り....
紀行文家の群れ」より 著者:小島烏水
烏水大兄 二十九日田山生 次に、小生表記の処に移転仕候 東京牛込北山伏町三十八田山鉄彌二十九日夕、とあるが、消印は明治三十八年八月三十一日、私の住宅は、横浜....
古事記物語」より 著者:鈴木三重吉
紀伊国までお出かけになったことがありました。 そのおるすの間、天皇のおそばには八田若郎女という女官がお仕え申しておりました。 皇后はまもなく御綱柏の葉をお船....
古狢」より 著者:泉鏡花
「そうだっけな――実は、あのならびに一人、おなじ小学校の組の友だちが居てね。……八田なにがし……」 「そのお飯粒で蛙を釣って遊んだって、御執心の、蓮池の邸の方と....
万葉秀歌」より 著者:斎藤茂吉
首載っている。此歌はその四番目である。四首はどういう時の御作か、仁徳天皇の後妃|八田皇女との三角関係が伝えられているから、感情の強く豊かな御方であらせられたので....
南国太平記」より 著者:直木三十五
検見 松元一左衛門 琉球館掛 大久保次右衛門(大久保利通の父) 広敷書役八田喜左衛門(後の八田知紀) 郡奉行 大山角右衛門 諏訪神社宮司 井上出雲....
取舵」より 著者:泉鏡花
。」とその友は頭を掉りぬ。 「それじゃその莨を喫んで謹聴し給え。 去年の夏だ、八田潟ね、あすこから宇木村へ渡ッて、能登の海浜の勝を探ろうと思って、家を出たのが....
読書遍歴」より 著者:三木清
た。私はその下宿を「雁来紅の家」と自分ひとりで呼んでいた。今でも葉鶏頭を見ると、八田といったその下宿のことが思い出されるのである。同じ年京都の哲学科に入ったのは....
三人の師」より 著者:上村松園
西山翠嶂 西村五雲 石崎光瑤 徳岡神泉 小野竹喬 金島桂華 加藤英舟 池田遙邨八田高容 森 月城 大村広陽 神原苔山 東原方僊 三木翠山 山本紅雲 「栖鳳先生....
私の履歴書」より 著者:浅沼稲次郎
江東橋にあって、いわゆる下町の子弟が多く、そのため庶民精神が横溢していて、名校長八田三喜先生の存在と相まって進歩的な空気が強かった。この学校の先輩には北沢新次郎....
古事記」より 著者:武田祐吉
伊耶那岐の命 木の花のさくや姫 美夜受比賣 蟹の歌 髮長比賣 吉備の黒日賣八田の若郎女 木梨の輕の太子 妻爭い 大國主の神 伊豆志袁登賣 女鳥の王 歌....
古事記」より 著者:太安万侶
とお歌いになつた六首の歌は、靜歌の歌い返しでございます。 ヤタの若郎女 ――八田部の人々の傳承であろう。―― 天皇、ヤタの若郎女をお慕いになつて歌をお....