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「八百八町〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

八百八町の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
とですが、しかし右門はポンと大きく胸をたたくと、しかるようにいいました。 「江戸八百八町がごひいきのむっつり右門じゃねえか。退職願いを出すなあ敬四郎のほうだよ」....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
つ歌わせておくんなさいな」 いいつつすれ違ったせつな! さすがはいにしえ、江戸八百八町に鳴らしたくし巻きお由です。あざやかに黒川の紙入れを抜き取りながら、引き....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
い尾州家の藩士が、ぎょッならんばかりにうろたえながら、荒々しくこづき返すと、江戸八百八町の大立て物をなんと見誤ったものか、けわしくきめつけました。 「めったなこ....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
江戸の春――まことに豪儀なものです。三月の声を聞くそうそうからもうお花見気分で、八百八町の町々は待ちこがれたお花見にそれぞれの趣向を凝らしながら、もう十日もまえ....
半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
の文久二年の春には、正月の元旦から大雪がふり出して、三ガ日の間ふり通した結果は、八百八町を真っ白に埋めてしまった。 故老の口碑によると、この雪は三尺も積ったと....
光の中に」より 著者:金史良
切ることは、彼の最も得意とする所に属するらしかった。「こちとらはな、これでも江戸八百八町を股にかけて歩いて来た男なんだ。余りふざけるねえ、手前のようなこそ泥とは....
右門捕物帖」より 著者:佐々木味津三
つづき、新宿のねこきょうも江戸に通いけり、という戯れ句があるくらいですから、江戸八百八町に加えてもさしつかえはなかろうと思われるのに、大木戸を一歩外へ出るともう....
明治開化 安吾捕物」より 著者:坂口安吾
が分るかも知れない。ほかに手はなかろう。もっとも、バカに根気のいい人物がいたら、八百八町の八百屋と料理屋を全部廻ってタケノコを訊いて歩く役を買って出たまえ。ほか....
花咲ける石」より 著者:坂口安吾
たんで、角の師匠にたのみ、意気な流行歌に仕立ててもらって唄った。そしてこれが当時八百八町に大流行したということである。....
開運の鼓」より 著者:国枝史郎
救済の大旆のもとに大坂城代を焼き打ちしたのはすなわちこの頃の事である。江戸三界、八百八町、どこを見ても生色なく、蠢くものは飢えた人、餓えた犬猫ばかりであったが、....
前記天満焼」より 著者:国枝史郎
。 「江戸中騒乱の巣となろう。死人も怪我人も出来るだろう。霊岸島の方は火の海だ。八百八町へ飛火がしよう。と、日本中へ押し広がる。京都、大阪、名古屋などへも、火の....
番町皿屋敷」より 著者:岡本綺堂
男らしい立派な侍であった。 「仔細もなしに喧嘩を売る。おのれ等のような無落戸漢が八百八町にはびこればこそ、公方様お膝元が騒がしいのだ」と、彼は向き直って相手の顔....
壁の眼の怪」より 著者:江見水蔭
った。 「広い浮世?」と娘はつぶやくのであった。 「おう、そこには大江戸もある。八百八町の繁昌は、人の口ではとても語り切れぬ。何とそこへは行かれぬか。大江戸にて....
一日一筆」より 著者:岡本綺堂
じたくない。およそ六十年の昔、初めて江戸の海にこれを築いた人々は、これに依て江戸八百八町の人民を守ろうとしたのである。その当時の徳川幕府は金がなかった。已むを得....
五重塔」より 著者:幸田露伴
されて悲しむものを見ては喜び、いよいよ図に乗り狼藉のあらん限りを逞しゅうすれば、八百八町百万の人みな生ける心地せず顔色さらにあらばこそ。 中にもわけて驚きしは....