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公卿
「公卿〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
公卿の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「偸盗」より 著者:芥川竜之介
由にする男でないという事も、知っていなかったわけではない。沙金自身さえ、関係した
公卿《くげ》の名や法師の名を、何度も自慢らしくおれに話した事がある。が、おれはこ....
「鯉魚」より 著者:岡本かの子
行って投げ与《あた》える役は、沙弥《しゃみ》の昭青年でありました。年は十八。元は
公卿《くげ》の出ですが、子供の時から三要の手元に引取られて、坐禅《ざぜん》学問を....
「忠直卿行状記」より 著者:菊池寛
時代に破魔弓《はまゆみ》の的を競えば、勝利者は必ず彼であった。福井の城下へも京の
公卿《くげ》が蹴鞠《けまり》の戯れを伝えて、それが城中にもしばしば行われた時、最....
「藤十郎の恋」より 著者:菊池寛
の紙衣姿《かみこすがた》も、毎年見ると、少しは堪能し過ぎると、悪口をいいくさった
公卿衆《くげしゅ》だちも、今度の新しい狂言にはさぞ駭《おどろ》くことでござりまし....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
、それは偽者だというだろうが、なにぶんにも今の時節だ。ひょっとすると、ほんとうの
公卿の娘が何かの都合でいい加減の名をいっているのかも知れねえからな。そこが詮議も....
「桶狭間合戦」より 著者:菊池寛
いたのを聞いて、忽ち顔の色を和げたと云うことである。地方の大豪族である処から京の
公卿衆が来往することが屡々であったらしく、義元の風体も自から雅かに、髪は総髪に、....
「大阪夏之陣」より 著者:菊池寛
守久、毛利勝永、大蔵卿等之に殉じた。因に、『土御門泰重卿記』に依れば京の御所では
公卿衆が清凉殿の屋根から大阪城の火の手を見物して居たと云う。 冬の陣はともかく....
「応仁の乱」より 著者:菊池寛
京都に戦争があったのは初期の三四年であったが、此の僅かの間の市街戦で、洛中洛外の
公卿門跡が悉く焼き払われて居るのである。『応仁記』等に依って見ると、如何に被害が....
「四条畷の戦」より 著者:菊池寛
府の要人連の間に、逆境時代には見られなかった内部的対立が兆していた。つまり武家と
公卿が各々、自分こそ此の大業の事実上の功労者であると、銘々勝手に考え出して来た為....
「豊島与志雄氏の事」より 著者:芥川竜之介
る愛す可き悪党味は、その芸術からは得られない。親しくしていると、ちょいと人の好い
公卿悪と云うような所がある。そうしてそれが豊島の人間に、或「動き」をつけている。....
「小坂部姫」より 著者:岡本綺堂
は先ずお身の父の師直を呪うた。高師直は呪わるべき人じゃ。彼が好色の餓鬼となって、
公卿殿上人の息女や女房をほしいままに掠め奪って、おのが妄婦として戯れ狂うのみか、....
「二葉亭追録」より 著者:内田魯庵
外務大臣で、双方が探り合いのダンマリのようなもんだったから、結局が百日鬘と青隈の
公卿悪の目を剥く睨合いの見得で幕となったので、見物人はイイ気持に看惚れただけでよ....
「サンカ者名義考」より 著者:喜田貞吉
あった。その書名の泥※之道」は、死者の葬儀や位牌の書き方等を示したものである。王
公卿相以下、所謂三家者の賤民の徒に至るまで、それぞれにその身分に応じて位牌の書き....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
っても、決してこの古豪族の貧乏人に対しては威張ることが出来ない。それは昔京都のお
公卿様に対して非常の金持の商工人が威張ることが出来なかったのと同じようなものであ....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
后や中宮やのおそばをつとめる身分高い女房は、時には后の宮の妹君がつとめられたり、
公卿の娘がつとめたりする。その中で下級の殿上人の娘くらいの者が、尻軽るにちょこま....