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公武
「公武〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
公武の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「鳥羽伏見の戦」より 著者:菊池寛
あったのである。 だから、それに対して、朝廷には二つ議論があった。その一つは、
公武合体派で、慶喜の大政奉還の許を嘉賞して、新政府組織についても、慶喜に旧将軍に....
「老中の眼鏡」より 著者:佐々木味津三
直さんために、不可能と知りつつ攘夷の実行を約して、和宮の御降嫁を願い奉った自分の
公武合体の苦肉の策を憤激している尊王派の面々も、無論忘れてならぬ第二の敵だった。....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
川将軍に降嫁せらるるようになったのも、まったく幕府の懇望にもとづく。 もともと
公武合体の意見は、当時の老中|安藤対馬なぞのはじめて唱え出したことでもない。天璋....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
てそれが尾州藩よりの警衛とわかった。皇室と徳川|霊廟とを結びつけるはずの使者が、
公武合体の役には立たないで、あべこべにそれをぶち壊して歩くのもあの一行だった。さ....
「夜明け前」より 著者:島崎藤村
殺気に満ちた空気の中で、幾多の誤解と反対と悲憤との声を押し切ってまでも断乎として
公武一和の素志を示すことが慶喜になかったとしたら、おそらく、慶喜がもっと内外の事....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
きっているが、そこのところをひとつ、何とかうまく調節ができませんかね、今時はやる
公武合体とか、相剋《そうこく》の緩和というやつで――どうです、駒井さん、断然あい....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
てはいないはず。そうでなくても、海道筋の夜の旅はきつい。打見たところでは、有力な
公武合体の保証があるというわけでなし、奇兵隊、新撰組の後ろだてがついているという....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
の賢たる所以《ゆえん》も備わるが、奸の奸たる毒素も持たざるなし、朝《あした》には
公武の合体を策し、夕《ゆうべ》には薩長の志士と交るといえども、表裏反覆の娼婦の態....
「鳴雪自叙伝」より 著者:内藤鳴雪
藩の世子もその警衛として江戸から京都へ上った。そこで私の父もその供をして、世子が
公武の間に立ちいろいろな勤務をせらるるために、父も一層配慮した事であった。それで....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
月に答礼かたがた実隆が鉤りの里に伺候した時には、特別に引見した。しかし実隆がかく
公武の間にひっぱり凧になって、用いられたので、おのずから朝廷と幕府との間に立ち、....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
心得た」
「笑ってるよ、この人は。笑うと、鼻まで笑うね」
「斉彬は、何処までも、
公武合体で行こうという肚らしいが――」
「斉彬は、何うでもいい。賢明と云っても、....
「瘠我慢の説」より 著者:福沢諭吉
こと何百年、この時に当りて臨時《りんじ》の処分《しょぶん》を謀《はか》りたらば、
公武合体《こうぶがったい》等種々の便利法もありしならんといえども、帝室にして能《....
「新撰組」より 著者:服部之総
をもって伏見と江戸で同時に事を挙げ、京都|所司代《しょしだい》と江戸閣老を斃し、
公武合体派を抑制しつつ一挙「鎌倉以前の大御代を挽回」するというのが、寺田屋に憤死....
「尊攘戦略史」より 著者:服部之総
たんなる「攘夷」だけでなく「内憂」に言及され、内政改革の手段として「群議評定」「
公武合体」が強調されている。これにたいする安政の大獄、翌年大獄始末を終えたか終え....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
御態度がお歌にきつくあらわれているということである。すでに充分触れて来たように、
公武対立の未曾有の世となって、廷臣たちの心には、上下おしなべて見透しのつかない混....