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六代
「六代〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
六代の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「俊寛」より 著者:芥川竜之介
むらかみ》の御門《みかど》第七の王子、二品中務親王《にほんなかつかさしんのう》、
六代の後胤《こういん》、仁和寺《にんなじ》の法印寛雅《ほういんかんが》が子、京極....
「土曜夫人」より 著者:織田作之助
……?」 「うん。あたいコビキ町で生れたのよ。あたいのお家煙草屋。あたいの学校、
六代目と同じよ。銀座へ歩いて行けたわ」 「田舎へ行くより、東京の方がいいだろう。....
「玉藻の前」より 著者:岡本綺堂
る仰いで視た。播磨守泰親は陰陽博士《おんようはかせ》安倍晴明《あべのせいめい》が
六代の孫で、天文|亀卜《きぼく》算術の長《おさ》として日本国に隠れのない名家であ....
「半七捕物帳」より 著者:岡本綺堂
んが、日本橋の伊勢|町《ちょう》に河辺昌伯という医者がありまして、先祖以来ここに
六代とか七代とか住んでいるという高名の家でしたが、その何代目ですか、元禄時代の河....
「青蛙堂鬼談」より 著者:岡本綺堂
されていた。当主は代々吉左衛門の名を継ぐことになっていて、この話の天保初年には十
六代目の吉左衛門が当主であったそうだ。 由井吉左衛門にふたりの娘があって、姉は....
「黒死館殺人事件」より 著者:小栗虫太郎
が載っている。また、フィリップ三世が巴里中の癩患者を焚殺したという事蹟を聞いて、
六代後の落魄したベルトランが、今度は花柳病者に同じ事をやろうとしたそうだ。それを....
「川中島合戦」より 著者:菊池寛
精華と云ってもよいのである。 武田の家は、源義家の弟|新羅三郎義光の後で、第十
六代信虎の子が信玄である。幼名勝千代、天文五年十六歳で将軍足利義晴より諱字を賜り....
「寄席と芝居と」より 著者:岡本綺堂
いのと、大体の筋がさびしいのとで、上演の機会を失っていたものである。後者は近年、
六代目菊五郎によって上演され、梅幸の豊志賀、菊五郎の新吉、いずれも好評を取った。....
「鐘ヶ淵」より 著者:岡本綺堂
単に右之助ということになって、代々の当主は右之助と呼ばれていた。ところで、今から
六代前の大原右之助という人は徳川八代将軍吉宗に仕えていたが、その時にこういう一つ....
「西瓜」より 著者:岡本綺堂
彼は古びた写本七冊をわたしの前に置いた。 「このあいだも話した通り、僕の家の
六代前の主人は享保から宝暦のころに生きていたのだそうで、雅号を杏雨といって俳句な....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
百蔵の与四郎などは本人も迷惑らしく、観客もやや迷惑を感じさせられた。わたしが今の
六代目菊五郎を舞台の上ではっきりと認めたのはこの時からであった。かれはまだ丑之助....
「久保田米斎君の思い出」より 著者:岡本綺堂
舞台装置や何かを米斎君に御願いしました。 それから翌年の二月に歌舞伎座で、今の
六代目菊五郎が長谷川時雨さんの『桜吹雪』を上演しました。それをまた米斎君が背景、....
「チベット旅行記」より 著者:河口慧海
方が死なれて第三代、第四代まで非常に確実な世であったです。
ところが第五代、第
六代となってはどうも歴史を見ても余程怪しい事が起って居る。その時分に起った怪しい....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
するに至りしより、おきぬは死罪、璃鶴は連坐の刑に問われしなり。 ○十月二十二日、
六代目市川団蔵、大阪に死す、七十二歳。彼は前名を九蔵といい、天保十一年河原崎座に....
「芝、麻布」より 著者:小山内薫
長町へ通った。菊五郎が芝公園に住んでいたので、二、三度遊びに行ったこともあった。
六代目は話好きで、夜おそくまで客を帰さなかった。併し、私は近いので、気を揉まずに....