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六国
「六国〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
六国の前後の文節・文章を表示しています。該当する15件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「神社合祀に関する意見」より 著者:南方熊楠
ものは合祀に及ばず、その特別の由緒とは左の五項なり。 (1)『延喜式』および『
六国史』所載の社および創立年代これに準ずべきもの、(2)勅祭社、準勅祭社、(3)....
「法窓夜話」より 著者:穂積陳重
事を称賛して「仁人之言其利薄哉」と言っておる。 一四 商鞅、移木の信 秦が
六国を滅して天下を一統したのは、韓非子《かんぴし》・商鞅《しょうおう》・李斯《り....
「カメラをさげて」より 著者:寺田寅彦
煎餅屋や袋物屋や芸者屋の立派に生存しているのもやはり印画記録の価値が充分にある。
六国史などを読んで、奈良朝の昔にシナ文化の洪水が当時の都人士の生活を浸したころの....
「読書の今昔」より 著者:寺田寅彦
、今の学者とちっとも変わらない生き写しであることをおもしろいと思うのであった。「
六国史」を読んでいると現代に起こっていると全く同じことがただ少しばかりちがった名....
「連環記」より 著者:幸田露伴
そこは流石に才子で、粟津の浜に精兵を率いて駈通るような文章を作る男だけに、檀弓は
六国の人、檀弓一篇は礼記に在りと雖も、もと伝聞に出ずるもので、多く信ず可からず、....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
して洛陽負郭二頃《らくようふかくにきょう》の田《でん》あらしめば、いずくんぞよく
六国の相印《しょういん》を佩《お》びんや」という文句を聞いて、それはおれの家に二....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
次第でもなかった。かの宗祇およびその流れを汲む連歌師らは、鎮西から奥州まで、六十
六国を股にかけ、絶えず旅行のしどおしであった。しかるに彼らの日記には、旅行危険に....
「南国太平記」より 著者:直木三十五
、か――吾に、洛陽|負廓田《ふかくでん》二|頃《けい》有らしめば、豈《あに》よく
六国の相印を佩《お》びんや、か」
と、小さい声で、いいつつ、玄関へ出て来ると、....
「荘子」より 著者:岡本かの子
別々に秦に従属しようとする連衡の気運が盛になって来た。従って人も変りつつあった。
六国の相印を一人の身に帯び車駕の数は王者を凌ぐと称せられて居た合従の策士蘇秦は日....
「今昔茶話」より 著者:国枝史郎
国の興亡が両白い。 戦国の七雄――秦、楚、斉、燕、韓、魏、趙、これらの国のうち
六国が亡びて、秦に併呑されたのは、けっきょく、縦横の説を説いた蘇秦と張儀とのため....
「鴎外博士の追憶」より 著者:内田魯庵
極めて幼稚な日本の学界は鴎外の巨腕に待つものが頗る多かった。鴎外が董督した改訂|
六国史の大成を見ないで逝ったのは鴎外の心残りでもあったろうし、また学術上の恨事で....
「「日本民族」とは何ぞや」より 著者:喜田貞吉
川を跋渉して寧んじ居るに遑あらず、東、毛人を征する五十五国、西、衆夷を服する六十
六国、渡りて海北を平ぐる九十五国、王道融泰、土を廊き畿を遐くす云々。 この国書....
「孔子」より 著者:和辻哲郎
いって来たのである。この際には前と違って異民族が自ら黄河流域に国を建てた。五胡十
六国と言われているようにその交代は頻繁であったが、蒙古民族たる鮮卑の建てた北魏の....
「古寺巡礼」より 著者:和辻哲郎
るかに古典的で精練された初唐の美術を形造るに至った。それはなぜであろうか。五胡十
六国の混血時代を経て、ちょうどこのころに渾融的な気運が熟して来たためであろうか。....
「三国志」より 著者:吉川英治
とかえりみて、 「ご辺は蘇秦、張儀を、ただ弁舌の人とのみ心得ておられるか。蘇秦は
六国の印をおび、張儀は二度まで秦の宰相たりし人、みな社稷を扶け、天下の経営に当っ....