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六歌仙
「六歌仙〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す
六歌仙の前後の文節・文章を表示しています。該当する14件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
「煙管」より 著者:芥川竜之介
》の河内山宗俊《こうちやまそうしゅん》が、やって来た。――後年《こうねん》「天保
六歌仙《てんぽうろっかせん》」の中の、主な 〔role^〕 をつとめる事になった....
「渋江抽斎」より 著者:森鴎外
。この画と木彫の人形数箇とを、豊芥子は某会に出陳するといって借りて帰った。人形は
六歌仙と若衆とで、寛永時代の物だとかいうことであった。これは抽斎が「三坊には雛人....
「十二支考」より 著者:南方熊楠
守《せきもり》は聞き咎めもせず関の戸も閉ざさざれば人も行き過ぎぬとなり。集外三十
六歌仙里見玄陳歌にも「遠方《おちかた》に夕告鳥の音すなり、いざその方《かた》に宿....
「大菩薩峠」より 著者:中里介山
あに?」 福村は懐ろからふくさ包を取り出して、 「通油町の鶴屋で、それ御所望の
六歌仙、次に京橋へ廻ってわざわざ求めて来た仙女香」 「まあ嬉しい」 「まだあるよ....
「連環記」より 著者:幸田露伴
た間に懐胎したが、何様いう因縁かで兼盛と別れて時用の許へ帰したのである。兼盛は卅
六歌仙の一人であり、是忠親王の曾孫であり、父の篤行から平姓を賜わり、和漢の才もあ....
「武州喜多院」より 著者:中里介山
りにも来て見たことはあるが、今度はその時見残した国宝の職人図だの、岩佐勝以の三十
六歌仙だの、そんなものを見せてもらうことが出来れば幸だと思った。 入間川までは....
「東山時代における一縉紳の生活」より 著者:原勝郎
している。この大内との縁からして、彼家の重臣である杉二郎左衛門の所望に応じ、三十
六歌仙の歌を色紙に認めたり、同じく重臣の陶三郎から、筑前名産の海児《うに》二桶を....
「大鵬のゆくえ」より 著者:国枝史郎
束通り描いておいたぞ」 信輔卿は一巻の絵巻を吉備彦の前へ押し拡げた。 それは
六歌仙の絵であった。……在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、文屋康秀、大友黒主、小野小....
「鴎外の思い出」より 著者:小金井喜美子
です。石の鳥居をくぐって社殿までの右側に、お神楽殿があって、見上げる欄間には三十
六歌仙の額が上げてあったかと思います。左側の石の手洗鉢にはいつも綺麗な水が溢れて....
「わが寄席青春録」より 著者:正岡容
ちばな》の圓《まどか》が助演で、滋味ある「天災」や「三味線栗毛」の話風は、豊麗な
六歌仙の踊りとともに、悠久に私の目を耳を離れまい。今端席にいる富士松ぎん蝶も出演....
「明治劇談 ランプの下にて」より 著者:岡本綺堂
三郎」「寺子屋」「忠信道行」「義経吉野落」「土蜘蛛」「山姥」「あやつり三番叟」「
六歌仙」「元禄踊」「靫猿」などを差替えて上演したのである。これらは誰も知ることで....
「四十年前」より 著者:内田魯庵
身の夷大黒や、渋紙面のベニスの商人や、顔を赤く彩ったドミノの道化役者や、七福神や
六歌仙や、神主や坊主や赤ゲットや、思い思いの異装に趣向を凝らして開闢以来の大有頂....
「明治演劇年表」より 著者:岡本綺堂
驚かせり。 ○歌舞伎座新築落成して、十一月二十一日より開場。狂言は「黄門記」と「
六歌仙」にて、団十郎、菊五郎、左団次、秀調、源之助、家橘ら出勤。入場料は桟敷一間....
「中世の文学伝統」より 著者:風巻景次郎
小町がのち、絶えたる歌の様わづかに聞ゆる時侍る」といっている。つまり貫之より前の
六歌仙時代、短歌が文学的創作となりはじめの純抒情歌であった時代を鋭く掴んでいるの....