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「共軛〜」の文章内での使われ方:小説や文学作品の中から探す

共軛の前後の文節・文章を表示しています。該当する13件の作品を表示しています。
検索対象[仮名遣い:新字新仮名]
電気看板の神経」より 著者:海野十三
付いてしまった。二人は睨み合いの状態となり、お互に持つ兇状は、二人を奇怪きわまる共軛関係に結びつけてしまった。第三の惨劇もコックの春吉の手で行われたが、それは鈴....
恐しき通夜」より 著者:海野十三
も大尉の急所を掴んでそれを緩めようとはしなかった。この儘に捨てておくと、二人とも共軛関係において死の門をくぐるばかりだった。 「紅子、うう射て……ピストル、いい....
共軛回転弾」より 著者:海野十三
いハリケーンの如き凄い奴を、どうぞ御提供願いまする」 「そうか。そういうことなら共軛回転弾が条件にぴったり合っている」 「えっ、共軛回転弾。ああ、なんというすば....
科学論」より 著者:戸坂潤
介して、相照応せざるを得ないものなのである。私はこの関係を二つの根本概念群の間の共軛関係の問題を離れて自然科学も社会科学も成り立ちはしないのである。――そして範....
技術の哲学」より 著者:戸坂潤
いる、ということが云いたいのである。 私は嘗て、諸科学の範疇が自然科学の範疇と共軛関係と呼んでもいい――に外ならない。 * 範疇の共軛性に就いては拙著『現代の....
イデオロギー概論」より 著者:戸坂潤
唯一の技術的・自然科学的・社会科学的・範疇である――は、東洋哲学的諸範疇と決して共軛化されていない、まして二つのものの一致は望むことが出来ない。なぜなら欧洲哲学....
日本イデオロギー論」より 著者:戸坂潤
特徴は、その好む古代的範疇が、今日の実際生活に於て使用される範疇と、何等論理上の共軛関係・飜訳可能の関係に立っていないということだ。もうすでに〔老い込ん〕で了っ....
現代哲学講話」より 著者:戸坂潤
自由に展開することが出来たのである*。西洋哲学、吾々の哲学、は自然科学との契約・共軛性を守ることによって、初めて哲学として生き還えることが出来たのである。 * ....
現代唯物論講話」より 著者:戸坂潤
・から独立であることが出来ないばかりではなく、積極的にこの範疇体系との連帯関係・共軛性・を保持し又は回復しなければならない宿命におかれている。 自然科学乃至技....
認識論とは何か」より 著者:戸坂潤
映画・で夫々の独自の原則を有っているにも拘らず、近代科学との或る一定の連帯関係と共軛関係とを有たずには、全くの文化的ナンセンスに終らざるを得ない。この認識を自覚....
思想としての文学」より 著者:戸坂潤
科学との一種の平行関係に気付かざるを得ない。二つのものの間には元来一種の同一性・共軛関係があるのである。一方のものに関する法則は、適当な変更の下に、他方のものに....
津田青楓君の画と南画の芸術的価値」より 著者:寺田寅彦
の文学との肖似を論じている。自分も偶然に津田君の画とこの露文豪のある作品との間に共軛点を認めさせられている。殊に彼の『イディオット』の主人公の無技巧な人格の美に....
範疇の発生学」より 著者:戸坂潤
例えば古代的範疇と近代的範疇との間には、その発生過程の歴史を抜きにしては、直接の共軛がない。従って、現在の我々の世界を理論的に把握するために、もし古代的範疇を用....